愉快に生き、愉快に死ぬための知恵(生活の哲学)序章
私は現在75歳の後期(高貴でありたいと切に願うけど、なかなかに難しい)高齢者である。仕事は週3回、企業と高校の相談室でのカウンセラー、時々メンタルヘルスの研修講師もしている。自由で風変わりなおもろいカウンセラーと周りからは言われている。半分リタイアなので、基本的にはのんびりまったりと愉快に我儘に生きながらえている。波乱万丈のハチャメチャ人生ながら、何とか生き延びてきた、というのが本音だ。そして、いつの間にか<愉快>が私の生きるテーマ=スタイルになってきた。
幕末を駆け抜け早逝した髙杉晋作が「面白きこともなき世をおもしろく」と辞世の句で述べたのが、学生時代に心に残った。彼は勇猛果敢でありながら、自由で粋な遊び心を持ち合わせていた。ちなみに、この句の後をどうするか考えていた時、看病にあたっていた尼僧が「住みなすものは心なりけり」と続けた。すると高杉はうなずき、「面白いのう」とつぶやいて息を引き取ったという。「愉快に死ぬ」理想的なあり方だな、と感じ入った。
この考え方はカウンセリングでいう認知行動療法、リフレーミング(受け止め方の枠組みを変える)である。そういえば、私の仮説で「ふりふり主義」なるものがある。自分がなりたい自分を徹底的によそおい、ふりをすることで、やがてそのふりは本人の本質となっていく。相談者から教わった(たびたび相談者が知恵を授けてくれる。カウンセラーより深く悩んでいるからだ)具体的な例を挙げてみよう。Aさん(女性)は小学生の時、理不尽ないじめにあい不登校になった。誰とも話さない暗い少女だった。一時は死にたいと思い自分で自分の首を絞めたこともあった、という。卒業を期に「どうせ死ぬなら、生まれ変わって正反対の陽気で愉快な自分になってみよう」、と思い立った。知り合いが誰もいない中学に入って、今までの自分と正反対の自分をよそおったという。もちろん、最初はぎくしゃくしたり、無理な愛想笑いもあり辛かったけれど、半年もしないうちに自然と陽気な前向きなキャラが身についてきた、という。なるほど、なるほど、人は思った通りの自分になっていく、自分はダメだという思いが口癖になれば、その通りに駄目な自分になっていく。
私の例でいえば、もともと私は相手に共感する能力が足りない、いわばカウンセラーの資質が足りないタイプの人間だったと思う。そして、組織や人に合わせるのが大嫌いで、我が道を一人で行きたい自由人タイプ。相手の立場に立つという姿勢が身についていなかった。どのように共感力を身につけていったか?といえば、ともかく徹底的に共感するふりをしたのだ。たとえふりでも真剣に心を込めてふりをしていけば、相談者には伝わるものがあった。そして、いつの間にかふりではなく共感力が身についたものになっていった。不思議だね。人間は。
さらに性格だって多少は変われる、という例を私のケースで振り返ってみたい。もともと私は人見知りで、人間嫌いなニヒリストの面が強かった。特に高校時代に友人に裏切られたり、三角関係に苦しんだり、部活の先輩の境界性人格障害に翻弄されたりして「人間なんて信じられない」というネガティブさが基底通音となっていった。文字通り「15,16,17と私の青春暗かった」のだ。これまた、カウンセラーには向かないキャラだ。
ではどんな風にネガティブキャラが変化していったのか? 42歳まで私は雑誌の編集者というチャラい仕事をしていた。お洒落なお店を取材したり、海外でダイビングやゴルフの取材をしたりと、何だか身に合わない違和感を感じながらの日々だった。会社を辞めてフリーになった際、これまでと全く逆のキャラやロールを演じられる援助職にチァレンジしてみようと思い立った。これまた、最初は、人間好き、人懐っこさをよそおうことにして、自分を無理にでもオープンにしていった。たとえふりでも相手を思いやる雰囲気を向ければ、やさしさが返ってくる。そんな受容と共感の経験を積み重ねることで、人を好きになり愉快に生きるスキルやライフスタイルが自然体となっていったのかもしれない。人間不信・人間嫌いがオセロのごとく反転したのだ。
今では私のカウンセリングは、あえて言えば「愛の心理療法」だと思う。別にかっこつけたり正義感ぶったりしているのではなく、老若男女を問わず相手を好きになれば、ほとんどの相談はうまくいくという実感がある(スキルはあった上で)。もちろん、ここでの好きや愛は狭い性愛的な好きや愛ではなく、もっと普遍的な、「生きるのは大変だけどお互いよくやっているよね。えらいね」という勇気づけの共感みたいなもの、いわば慈愛だ。
そんなわけで、人間は変化できる。自分がなりたい自分になれるぐらい柔軟で自由な存在でもある(もちろんこのノウハウはあくまで知恵の一つで、誰にでもいつでも当てはまるわけではない)。そして、私の目指した変化の先に、「愉快に生き、愉快に死ぬ」というテーマがほのぼのと見えてきた。
「第1章 愉快に生き、愉快に死ぬためのやさしい生活の哲学 その1 笑いセラピー」 へ続く
筆者 大澤 昇 プロフィール
日本産業カウンセラー協会認定シニア産業カウンセラー・臨床心理士。
1971年 早稲田大学卒業、2004年 目白大学大学院修了後、企業内カウンセラーや学生相談室カウンセラー、また大学講師として様々な経歴を持つ。
現場で培った経験を活かし、メンタルヘルス講師や、教育カウンセリング講師、大学の非常勤講師として活躍中。
また数多くの論文・著書を発表しており『やすらぎのスペース・セラピー 心と体の痛みがあなたを成長させる』『心理臨床実習』『トラウマを成長につなげる技術』等の著書がある。