第10章 愉快に死ぬためのレッスン その⑴

皆さん、
ここまでこのエッセイを読んで頂いて、本当にありがとうございます。
いよいよ最終章です!
面白くなき世を、いかに面白く愉快に生き、そして愉快に死ぬか?
私の体験や死のワークを通して楽しんで下さい!
ここからは一歩先に進んで、平穏死が可能になったとして、穏やかな死に向かうためのトレーニング、レッスンを試してみよう。穏やかな死へのシュミレーションだね。死に対しての肝が据わるし覚悟みたいなものができてくるはずだ。愉快な走馬灯へのトレーニングにもなるだろう。
まずはイメージが賦活しやすいように、マインドフルネス瞑想をするのが必須となる。
ここでの方法は1~10まで数えていく瞑想法を試してみよう。
まずは、お腹に意識を向け、お腹のふくらみ、ちじみの身体感覚を感じるようにする。
そして、最初に息を吸うときに「1」次に吐くときに「2」と数えて行って、10まで行ったらまた1から繰り返す。途中で数を数えるのがどこかに行ってしまったら、最初の「1」に戻ればいい。
目をつぶったまま、続いてイメージワークをしてみる。
少しでも自分へのとらわれから解放されるための<空の瞑想>が役に立つ。このインストラクションを家族や友人に読んでもらうか、自分で録音して、青空をイメージしながら聞き流すだけでOKだ。
<空の瞑想インストラクション>

感覚をこの広々した空間で生じさせてあげましょう。
物事がただあるがままにあるのを許している、柔和で執着のない空間です。干渉することもありません。感覚が生じています。思考が生じています。抵抗はありません。感覚や思考に向かって手を伸ばしてつかもうとしたり、それらを追い払おうとしたりしません。緊張することもありません。ただ、柔和な広々とした空間。一瞬一瞬が、広大な気づきのなかで体験されます。
私の声が気づきの広々とした空間で響き、消えていきます。自然に生じている一切を聞いています。なすべきことは何もありません。ただ、響きがあなたの広大さのなかで刻々と変化するだけです。
すべての音や映像を包み込み、四方八方へと広がっている存在の広大さを感じてください。聞いている一瞬の後に見ている一瞬がやってきます。そして、思考の一瞬がつづきます。一切は心の広大な空間のなかで漂っているのです。私の声。車の通り過ぎる音。上空を飛ぶ飛行機の音。一切は気づきの無辺の広大さのなかで生じています。
心を無限の空のようにしましょう。
どんな感覚も考えも雲のように漂い、たえず変化し、次々に崩れ、広大無辺の中へ消えていきます。意識が同時にいたる所に存在しているのを感じてください。境界はありません。
存在の無辺の空間を感じましょう。
もはや身体の輪郭にしがみついてはいません。部屋の空間にも縛られていません。無限の空間へとたえず広がっていく気づきだけです。
気づきを空のようにしましょう。
空は何もつかみません。何かを造り出すこともありません。すべてを通り過ぎるままにまかせています。執着することも、干渉することもなく。音を観察してください。映像を、記憶を、感情を観察してください。気づきの広々とした空のなかで、現れては消えていきます。
すべての音がこの広大さの中で生じていることに気づきましょう。思考も感情も同じです。無限の気づきのなかを漂っているのです。どこにも境界はありません。生起している一切は、あなたの広大無辺の中で生起しているのです。気づきの無限の広がりのなかで。
身体が和らいでいます。心は開いて、澄みわたっています。
身体の境界、心の境界を広大無辺のなかに溶け込ませましょう。
身体。感覚。感情。広大さのなかに漂っています。変化する感覚の一瞬一瞬が、純粋な気づきのなかで自由に漂っています。記憶の一瞬。怖れの一瞬。喜びの一瞬。すべてが広々とした空に浮かび、たえず姿を変えている雲です。どの思考も、どの感情も果てしない気づきのなかで自由に漂っています。この広大無辺の中で、心と身体は、ただ、開かれた無限の空間に浮かぶ泡だとみなされます。
気づきそのもの。すべてを包含し、何にも執着しません。
心全体が広大な広がりへと溶けていきます。
身体も、感覚も、空間へと溶けていきます。
溶けていきます。溶けていきます。
ただ空間があるだけ、ただやすらぎがあるだけ。
スティーブン・レバイン「目覚めて生き、目覚めて死ぬ」より。
このインストラクションを聞いての感想をワークの参加者に聞いてみた。
- のんびりリラックスできた。身体が青空に溶けていく感じ。
- 何だか不思議な感覚です。静かに死んでいくプロセスを味わったみたいな。
- 自然と自分へのとらわれから解放されていく感覚を少しだけ味わえたような気がします。
自分へのとらわれ、思考や感情へのとらわれ、人間関係のとらわれが少しずつ解き放たれていくのが実感できるだろう。時々この死への予行練習を実施すると、平穏さに包まれ愉快に安らぐことが体験できるだろう。
ここからは、さらに異なった視点から、少しでも安らかに死に行くための、とらわれからの解放レッスンを試してみよう。

まずは、自分が大切に思っていることを5個、書いてみる。
書けたら、5個ある項目に順番をつける。大切な順だ。
おおよその人の一番大切なものはだいたい共通している。
家族
大好きなワンちゃん
自由
自然の中でくつろぐこと
バッハとモーツァルト
友人たちとの温かい交流
マインドフルネス瞑想
悟り
自分
では、
今度は自分の中の手放したい嫌なものを5個書いてみよう。
同じように順番をつけてみる。大体はこんな項目が並ぶようだ。
怒りやイライラ、
死への恐怖、
不安、
嫉妬、
プライド、
劣等感、
憎しみ。
自己嫌悪
そうしたら、
あらゆるものを手放す瞑想を試してみよう。まずは嫌なものから。
最初に、手放したいものの5番目を取り上げる。
例えば、不安なら、今までに感じた最大の不安をイメージして。
そして、お腹のふくらみ、ちじみを感じながら、次の言葉を心の中で繰り返す。
「息を吸って不安に気づく」
「息を吐いて不安に気づく」
ジャッジしないで不安を静かに受け入れる練習だよね。3分ほどしたら次の言葉に移る。
「息を吸って不安を手放す」
「息を吐いて不安を手放す」3分ぐらい続ける。
そうしたら、同じように4番目を取り上げて気づきと手放しのワークをする。そして、自分のペースでいいから、最後の一番手放したい嫌なものまでこのワークを続ける。
そして今度は同じように、大切なものを少しづつ手放すワークをするんだ。これは、穏やかに意識的に死ぬプロセスを味わうワークとも言える。死ぬときの最後の最後は、苦痛はなく、むしろ程よい気持ちのいい状態が訪れていると感じながらね。
5番目が「愛」なら、まずは愛を感じるシーンをイメージしながら二つのワークをする。
「息を吸って愛に気づく」
「息を吐いて愛に気づく」
3分ほど続けたら
「息を吸って愛を手放す」
「息を吐いて愛を手放す」
3分ほど続けたら4番目に移る。
同様に一番大切なものまでこのワークを繰り返していく。
最後に仕上げとして、自分そのものを手放すワークを試してみる。
もしも手放したくないと感じたら無理にしないで、どうして手放したくないのか? 自分の何に、どこにこだわっているのか? 考えてみる絶好のチャンスになるだろう。
「息を吸って自分の存在に気づく」
「息を吐いて自分の存在に気づく」
3分ほど続けたら
「息を吸って自分を手放す」
「息を吐いて自分を手放す」
3分ほど続けたら、少しの間何もない空っぽの静かな状態を味わってみよう。
どうだろうか? 死ぬプロセスのさわりでも味わえただろうか?
ここでも、参加者の何人かに感想を聞いてみた。
- 座禅でいう空の状態が少しだけ味わえた感じがします。何もないのは空虚ではなく、逆にエネルギーみたいなもので充実している感覚が味わえました。
- 不思議なことに身体が温かくなってきて、とてもリラックスした気分です。疲れた時やストレスを感じた際に、自分を手放し死んでみるワークをするのはいいですね。
死ぬときは否応なしに、自分を含めてすべてを手放さざるを得ない。死ぬ時が最大の、そして最後の悟りのチャンスといわれているのは、自分にまつわるすべての執着を手放すのが悟りのエッセンスのためなんだね。死ぬ前にこの練習をしておけば、死ぬときにもそんなに狼狽せずに済むかもしれないしね。いかに自分がいろいろなものにとらわれ搦めとられていたか? の気づきにも繋がるよね。死ぬのが怖くなくなるかもしれない、愉快なレッスンだ。
では、
さらに死に備えてどういう死に方がいいか? どう死ぬ前のもろもろを整えるか? 死んだ後のことはどうするのか? も考えておく必要があるよね。
私は以前も述べたことがあるように、意識的に死ぬプロセスを観察したいので、理想は身体が衰弱してきて食べ物がのどを通らなくなったら食べない。水分だけは取る。水分だけ取っていても2週間ぐらいは生きる。水分も取れなくなったら、何も口にしない。すると1週間ぐらいですっと死が訪れる。いわば自然断食だね。これが理想だけど、家族に前もって共通理解を得ておかないとね。救急車で運ばれたら、管につながれて無理やり栄養を取らされるだろうから勘弁。ましては胃瘻なんてとんでもない。ともかく病院では死なない、というのが基本的スタンスだ。もちろん、愉快に死ぬための基本となる。
しかし、家族としては難しい状況もある。
理屈では理解し納得していたとしても、目の前で私がのどを詰まらせたり、苦しんだり、痙攣を起こしたりしたら、やはり何とか苦痛を和らげたいと思うから、救急車を呼びたくなってしまうだろう。
一体どうしたらいいのか?
確かに難しいシチュエーションがある。理想の死に方に至るためには、もしかしたらすごい努力が必要かもしれない。一人静かに老衰していかないと難しいかな? と途方に暮れてしまう。脳溢血や心臓発作で苦しんでいるのを見たら、家族はやはり救急車を呼んでしまうだろうからね。少なくとも応急処置はしても、胃瘻や無駄な延命策はしないという合意は最低限しておかないとね。
それにしても、家族のことや医療現場のことを考えると、自然に死ぬのが現代ではいかに難しいか? いかに不自然か? 生きるのは大変でほとんど苦だけど、死ぬのも大変だってよくわかるよね。自然に死ぬために普段から健康に気をつけて、規則正しい生活をして、運動をして、なんて考え始めたら、何だか本末転倒で面倒くさくて嫌になってしまうな、ものぐさ太郎としては。「ははは、やれやれ」だね、まったく。まあ、やはり好きなように生きて、最後は野たれ死にするという覚悟がないと、理想の死に方は難しいのかな? 私の最後の課題だね。

さてさて、死のレッスンは続くよ、どこまでも。
まずは、自分の墓碑銘を考えてみよう。
どんな風に死ぬか? お葬式はするか? しないなら、どんな風に弔ってもらうのか? ここでも、この死のレッスンワークに参加した人に聞いてみた。
ある程度のイメージがある人は?
Vさん=私はお葬式もお墓もいらないので、お骨を海にばらまいてほしいです。もしも可能なら大好きでよく遊びに行ったバリの海がいいな。
Kさん=戒名はいらないので、内輪でお別れの会だけでいいです。バッハかモーツァルトの音楽葬がいいな。樹木葬にも憧れます。
お墓や戒名がなくても、自分なりの墓碑銘は考えておくといいと思う。
人生の総決算ともいえるからだ。私なら「風」とか「空」とか「流流草花」とか、かな? もちろん、短くても長くてもいいので自由に考えてみて。何かストレスを感じたり、嫌な気分になったり、体に不調をきたしたりした際には、この墓碑銘を思い出して、マントラのようにつぶやくのがよろしい。
筆者 大澤 昇 プロフィール
日本産業カウンセラー協会認定シニア産業カウンセラー・臨床心理士。
1971年 早稲田大学卒業、2004年 目白大学大学院修了後、企業内カウンセラーや学生相談室カウンセラー、また大学講師として様々な経歴を持つ。
現場で培った経験を活かし、メンタルヘルス講師や、教育カウンセリング講師、大学の非常勤講師として活躍中。
また数多くの論文・著書を発表しており『やすらぎのスペース・セラピー 心と体の痛みがあなたを成長させる』『心理臨床実習』『トラウマを成長につなげる技術』等の著書がある。



