第10章 愉快に死ぬためのレッスン その⑵

さてさて、死のレッスンは続くよ、どこまでも。
まずは、自分の墓碑銘を考えてみよう。
どんな風に死ぬか? お葬式はするか? しないなら、どんな風に弔ってもらうのか? ここでも、この死のレッスンワークに参加した人に聞いてみた。
ある程度のイメージがある人は?
Vさん=私はお葬式もお墓もいらないので、お骨を海にばらまいてほしいです。もしも可能なら大好きでよく遊びに行ったバリの海がいいな。
Kさん=戒名はいらないので、内輪でお別れの会だけでいいです。バッハかモーツァルトの音楽葬がいいな。樹木葬にも憧れます。
お墓や戒名がなくても、自分なりの墓碑銘は考えておくといいと思う。
人生の総決算ともいえるからだ。私なら「風」とか「空」とか「流流草花」とか、かな? もちろん、短くても長くてもいいので自由に考えてみて。何かストレスを感じたり、嫌な気分になったり、体に不調をきたしたりした際には、この墓碑銘を思い出して、マントラのようにつぶやくのがよろしい。

さてさて、では最後のレッスンだ。
死のプロセスに入った際、親しい人が読んであげるといい誘導瞑想がある。
まずはレッスンなので、死のプロセスに入ったとイメージする。ハッピーアワーという言葉があるように、最後の最後はとても幸せな素敵な気分になるという。身体は痛くも苦しくもなく、自分への執着や生きることへの執着もある程度手放して、とても安らかな気持ちになっている、そんな風にイメージしてみてよう。
そして、次にイメージで目の前に親しい人やペットを思い浮かべて、一人ずつにお別れの挨拶をしよう。
もしも万が一葛藤のあった人が出てきたり、今まで許せないと思ってきた人が出てきたら、この際最後に許してあげよう。もう自分へのこだわりがなくなっているから、許すことはそんなにハードルは高くないはずだ。
お別れがすんだら、いよいよ死のプロセスに入っていくレッスンだ。
・死についての誘導瞑想
(自分で黙読するか、録音したものを流す。家族や友人に読んでもらってもいい)
快適な姿勢を取って、目を閉じて下さい。そして身体の感覚に注意を向けます。
ただここに坐っているものを感じとって下さい。
この身体という容器を感じて下さい。容器の実体を感じて下さい。首の上にバランスよくのっている頭の重さを味わって下さい。首の筋肉の強さと厚み、そしてその実質を感じ取ります。肩胛骨を意識し、腕との繋がりのところにある窪みを感じ取って下さい。
身体の両側に置いた腕を、そして手を感じます。
胴体を意識して下さい。その厚みと重みを感じ取ってあげましょう。この身体の土のような性質を感じ取ります。
今度は枕や椅子にのっているお尻の番です。接触している部分を意識し、お尻が自分の体重をどのように支えているかを感じ取ります。この実体のある形に働く重力の力を感じ取って下さい。
感覚をつかもうとしてはなりません。
自分が住んでいるこの身体に生じてくる感覚が受け止められるままに任せて下さい。
脚にある感覚、その厚みや重さに心を開いて下さい。身体の固さを感じ、脚と地球、固さと重みを味わって下さい。
それから身体のあちこちで生じている感覚、手のひらや、首の後ろや、お尻や、かかとで生じている感覚を感じて下さい。あちこちでさまざまな感覚が生じているのが分かるでしょう。
これらの感覚を意識し、それらがこの重い身体より精妙で、軽い何かによってどのように受け止められているかに注意してみて下さい。「気づき」そのものが固い身体に生じているこれらの感覚を体験し、微妙な動きや震えを受け取っているように思われます。
重い容器の内部にあるこの軽い身体、この「気づき」の身体を感じ取って下さい。
この重い身体の内部にあって、感覚を通して入ってくるすべての経験を受け止める軽い身体を感じて下さい。「気づき」は音を「聞くこと」として、光を「見ること」として、生を体験されるままに受け止めます。
「気づき」という重さのない身体に入って下さい。
一つ一つの息が重い身体に入るとき、軽い身体によってどのようにして感覚として受け止められるかに注意して下さい。重い身体に入ってくる一つ一つの息がこの軽さを支え、「気づき」の身体をとどめておくバランスを維持します。
一つ一つの息がこうしたつながりをどのように維持しているかを感じて下さい。
息を吸っては吐くたびに、油断なく注意して意識を落ち着かせて下さい。重い身体と軽い身体とのこのような接触を感じて下さい。一つ一つの息がどのようにして軽い身体を支え、内部のバランスを取っているか感じて下さい。
一つ一つの息を存分に味わって下さい。この身体のプロセスに潜む生命を感じて下さい。
ただ「気づき」と感覚、そして一つ一つの息があるだけです。感覚と「気づき」そのものとの一瞬、一瞬のこの微妙なバランスを味わって下さい。
そしてそれぞれの息をこれが最後であるような気持ちでして下さい。
息を吸うとき、それが最期の息であるかのように吸って下さい。一つ一つの呼吸を最期の呼吸であるかのようにして下さい。
それぞれの息はそれでおしまいです。最期の息です。重い身体と軽い身体とのつながりが断ち切られます。
人生の終わりです。最期の息です。
明け渡して下さい。しがみつかないで下さい。一つ一つの息を最期の息として永遠に解き放って下さい。次の息にも執着しないこと。
明け渡して下さい。自分を死なせてあげましょう。しがみつかないこと。生命にしがみつかないこと。
明け渡して下さい。ゆっくりとなめらかに。すべてを明け渡して下さい。すべてが流れるままに任せます。自分自身を死なせてあげましょう。
一つ一つの息が消え去ります。思考が空間へと溶けこみます。しがみついてはいけません。一切を手放してください。恐れを手放し、切望を手放してください。
自分自身を死なせましょう。死に心を開いて下さい。しがみつけるものは何もありません。すべては過去です。ゆったりとこの瞬間に消え去っていきます。
何ものにもしがみついてはなりません。ただ自分自身を死なせてあげるのです。
思考を手放して下さい。死ぬとか生きるとかいう観念も手放して下さい。今、この瞬間、一切を手放し、ゆっくりと死へと入っていきます。
さあ、行って下さい。ゆっくりと光の中へ消え去って下さい。その重い身体から自由になり、さまざまな思考から自由になります。その身体は非常に重い。一つ一つの思考も非常に重い。さあ、超えていって下さい。自由になって下さい。すべてを超え、すべてから自由になるのです。
心を開き、自分を引き寄せようとするすべてのもの、自分を引き戻そうとするすべてのものを手放して下さい。身体を、心を手放し、しがみつくことも、執着することもせず、ただ自由に浮いて下さい。さあ、自分自身を死なせてあげましょう。
恐がってはいけません。しがみつくものなど何もないのです。一瞬、一瞬、軽い身体が自由になっていきます。さあ、行って下さい。この濃密な身体、この重い肉体から自由になってゆっくりと光の中に入っていくのです。
光のなかに、あなたの本性である純粋な開かれた光輝の中へと入っていって下さい。空間しかありません。空間の中に浮かぶ空間だけです。
完全に手放し、ゆっくりと光の中にとけ去っていって下さい。広大な空間に浮かぶ光しかありません。無限の空間に自由に漂う光だけです。
知っていることを、そして知らないことを手放して下さい。心に生じるものはすべて古いものです。いかなる思考も古い思考にすぎません。今や何もしがみつくものはありません。ついに自由になる時がきたのです。
気づきが単に光の中に溶け込むだけにすぎません。光が自らの内部で自らを体験するのです。
空間の中に空間が、光の中に光があります。
すべては消え去ります。消え去ることをも超えます。内部も、外部もありません。ただ「在ること」があるだけなのです。ただ限りない空間に限りない存在があるだけなのです。
そのなかへと入っていって下さい。身体から自由になり、さまざまな想いから自由になって、純粋な空間へと自分自身を消えいらせて下さい。
濃密な身体や思考を超え、自分本来の純粋な光の中へと入りこんで下さい。
限りなき広大な空間。その広大さにただ自由に漂います。
開かれた無限の空間。広大無辺の空間。
その広大さにただただ自由に漂います。
スティーブン・レバイン「目覚めて生き、目覚めて死ぬ」より
さあ、それではしばらくは自由で静かな境地を味わってみよう。
静かで素敵な死のプロセス、理想的な死のプロセスを少しは味わえたか、参加者に聞いてみた。
Kさん=何だか自分がこだわっていたものがするりと抜け落ちたような気がして、とてもとてもすっきりした気分です。体も軽くなったような気がします。
Uさん=今まで何年も座禅や瞑想をしてきましたが、自分へのこだわりからはなかなか解放されませんでした。このワークをして初めて何に自分がこだわってきたのか理解でき、手放すことも少しだけできた感じです。時々死んでみるのはとてもいいですね。
時々死んでみること、死のレッスンをしてみることで、自分を手放して、愉快に死ぬためのべースができるだろう。
ここまで愉快に死ぬための様々な考え方やメソッドを詳しく述べてきたが、基本の基本は、もちろん愉快に生きることだ。
今ここを愉快に生き切れば、もしかしたら愉快に死ぬことはそれ程気にする必要も考える必要もないかもしれない。
何故なら、愉快に生きることと愉快に死ぬことは、完全に繋がっているからだ。断絶はないよね。むしろ自分を手放すことに向かって、ずっと成長、成熟し続けること。いわば自然に死に切るプロセスを楽しむこと。今ここを愉快に生き切れば、そのままで愉快に死ぬことへと繋がっていくのだからね。
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最後まで付き合って頂いて、本当にありがとうございました。
つい最近77歳(3月1日)の喜寿を迎えました。
ちょうどよい区切りまでこの連載エッセイが続いたことに
感謝いたします。風変わりな高貴(?笑)高齢者としては喜ばしい限りです。
また、どこかでお目にかかれるよう、エッセイを書き続けていく所存です。
最後に私の敬愛する石牟礼道子さんオリジナルのお経を捧げます。
この中の 「流流草花」は私の墓碑銘です。
十方無量 じっぽうむりょ
百千万億 ひゃくせんまんおく
世世累劫 せーせるいごう
深甚微妙 じんじんみーみょう
無明闇中 むーみょうあんちゅう
流流草花 るーるーそーげ
窮微極妙 ぐーみーごくしょう
唯身常寂 ゆいしんじょうばく
流流草花 るーるーそーげ
遠離一輪 おんりいちりん
莫明無明 ばくめいむーりょう
末生億海 みーしょうおくかい

筆者 大澤 昇 プロフィール
日本産業カウンセラー協会認定シニア産業カウンセラー・臨床心理士。
1971年 早稲田大学卒業、2004年 目白大学大学院修了後、企業内カウンセラーや
学生相談室カウンセラー、また大学講師として様々な経歴を持つ。
現場で培った経験を活かし、メンタルヘルス講師や、教育カウンセリング講師、大学の非常勤講師として活躍中。
また数多くの論文・著書を発表しており『やすらぎのスペース・セラピー 心と体の痛みがあなたを成長させる』『心理臨床実習』『トラウマを成長につなげる技術』等の著書がある。



