第1章 愉快に生き、愉快に死ぬためのやさしい生活の哲学 その2 身体のほうが心より賢い
前回述べた笑いの効用は、脳科学者も認めている。脳科学の分野ではよく言われるように、「哀しいから泣くのではなく、泣くから哀しい。楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい」というセオリーが、私のケースからも良く理解できる。最新のストレス理論でも、刺激にまず反応するのは身体感覚で、その身体感覚を脳が解釈して、感情や思考が生じ、場合によっては制御できないぐらいに暴れ回るのだ。なので、取り敢えず愉快に生きるベースは身体感覚に敏感になること。そして笑うこと。小さなストレスなら微笑み、大きなストレスなら爆笑すること。たとえ面白くなくても、どんなに辛くても「ようし、笑いのめしてやる」という姿勢があるだけで、自己効力感(何があっても何とかなるという自信)があるだけで、ずいぶんと対処がやさしくなるだろう。
ちなみに、私たちの自由意思を疑うような実験結果もよく耳にする。例えば、私がペンを取ろうとする。その思い、欲望が生じる前に、零点何秒か前にペンに向かってすでに微細な筋肉の動きが見て取れるのだ。もしかしたら、身体の方が私たちの意思かもしれないし、思考や感情をコントロールしているのかもしれない。
「うーん、ほんまかいな? では人間の自由や意志はどこにあるんじゃい?」と悪態の一つや二つを脳科学者につきたくなる。でも、これまたよく言われるように「頭はお馬鹿さん、身体はおりこうさん」なのは、かなりの部分当たっている実感がある。では、私たちに「自由はないのか? 意思はないのか? 明日はないのか?」と考え込んでしまう。
その答えは、脳科学者の池谷裕二によれば「否定意志」、つまり、反応の拡がりを否定する自由は存在するという。どういうことかと言えば、身体が反応して即、脳が解釈して思考や感情が生じる。その反応自体は瞬時のものなので止めることはできないけど、反応から生じた強いネガティブな思考や感情が拡大することに対しては、「その通りには動かないよ」と否定することができる。刺激に対して反応するままの不自由ではなく、反応の拡大を否定することで対応する自由意志が辛うじてあるというわけだ。何だか情けなくも哀しくもなるけれど、我が身を振り返ってみれば、確かに納得する部分も多い。
強いストレス、例えば誰かに攻撃され怒りやイライラを向けられたとする。当然、瞬時に身体が反応し脳が解釈して、強いイライラや恐怖の感情と思いが湧き出す。すると即、自律神経の「逃げるか戦うか反応」が起動し、
どちらかの行動をとる。普段からアグレッシブな人は「ふざけんな、いい加減にしろ、許せんぞ、馬鹿垂れ」という激しい怒りや敵意の思いが湧き上がり相手にぶつけるかもしれない。感情をあらわにしないタイプの人は押し黙って無理やり我慢するかもしれない。いずれにしても、そのままにしておくと、間違いなく心と行動は怒りのなすが儘、怒りに支配され振り回されて、どこにも自由な意志は存在しない、愉快になんていかないよ、と感じるだろう。そんな時は「脳が勝手に反応して私をコントロールしようとしているけど、私はその通りには動かないよ」と冷静に言い聞かせて、実際逃げるのでも戦うのでもない、違う行動(冷静に自分の思いを伝えるアサーションなど)をする、というのがセオリーだ。
うつの対処法として、重要なノウハウに「ともかく主義」がある。うつだけでなくモチベーションのアップにもつながる大切なセオリーだ。多くの相談者は「やる気が起こらないので動けない、何もする気にならない」と訴えて、行動を起こさない。しかし、これは全く逆なのだと脳科学は教えてくれる。やる気がないから動かないでいると、ますます身体は倦怠感に包まれ動けなくなり、気持ちは萎えて、悪い方にしか行かない。まずは動くことが重要で、動き続ければやる気は後からついてくる。これは実際その通りで、私もよく経験する。この文章を書いている途中でも、「何だか今日は風邪気味で身体がだるいし、書く気がしないので、のんびりしたいな」と動かないでいると、ますます身体はだるくなり眠くなって、書こうという気持ちも萎えていく。そこで「多少だるくても気分が乗らなくても、ともかく書き始めよう」とパソコンに向かい手を動かすと、あらら不思議? いつの間にか絶好調になった経験が何度もある。
精神科医の蟻塚DRは中程度までのうつの患者に必ずこう指導する。目が覚めたら、だるくてもともかく起きる。起きたらともかくトイレに行き歯を磨く。少しでもいいからともかく朝ご飯を食べる。食欲がなくても、バナナがうつに効果があるので、半分でいいからともかく口にする。朝ごはんを食べたら、ともかく家を出て散歩をして太陽の光を浴びる。この「ともかく主義」を貫き通すことで中程度のうつは改善する可能性が高いという。また、うつの回復には何も考えずにすむような手作業が効果的というデータもある。ここでも心より身体が大事で賢いというセオリーが見えてきた。愉快に生きるには身体の賢さに頼るのがよさそうだ。
次回その3に続く
筆者 大澤 昇 プロフィール
日本産業カウンセラー協会認定シニア産業カウンセラー・臨床心理士。
1971年 早稲田大学卒業、2004年 目白大学大学院修了後、企業内カウンセラーや学生相談室カウンセラー、また大学講師として様々な経歴を持つ。
現場で培った経験を活かし、メンタルヘルス講師や、教育カウンセリング講師、大学の非常勤講師として活躍中。
また数多くの論文・著書を発表しており『やすらぎのスペース・セラピー 心と体の痛みがあなたを成長させる』『心理臨床実習』『トラウマを成長につなげる技術』等の著書がある。