第3章 遥かなる安全への道 その3 トラウマを成長につなげる知恵

トラウマって言葉が独り歩きをしていて、何でもかんでもトラウマのせいって風潮があるけど、違う視点も考えたほうがいいかもしれない。なぜなら、愉快に生きるためには、柔軟な考え方や智慧が必要だって気がしているからだ。
まずは、過去にいじめや虐待があって今がこんなにも辛い、というトラウマ的因果論は少し考え直す余地がある、と心理の専門家は言う。私もそう思う。
なぜなら、ロジャーズやアドラー心理学がいうように、因果論だけでなく、目的論の視点も必要だからだ。今の症状には実は目的や意味がある。その目的のためにトラウマが言い訳として採用されているのではないか? という説だよ。
例えば、引きこもって家を出られないケース。過去にいじめや虐待があったから、今辛くて閉じこもっている。これがごくごく常識的な解釈だよね。でもアドラーはそうではない、つまりは「トラウマなんて存在しない」、とまでのたまう。人に会うのが怖い、人から傷付けられるのが怖い、嫌われるのが怖い、それを避けるという目的のために閉じこもっているのであって、トラウマのせいだというのは言い訳にすぎない、となるんだね。
だからこそ、「嫌われる勇気」を持ちなさい、ってアジるんだよ。面白いでしょ。また、アドラー心理学では、「記憶がよみがえるのではない。あなたがその記憶を必要としたときにあなたが記憶をよみがえらせているのだ」と言って、あくまでも主体性を重んじるんだね。
確かに、一理あるよね。でも、私の実感としては、よほど精神が強靭な人でないと、なかなかに受け入れがたい考えかもしれない。トラウマで現に苦しんでいる人にはとても分かってもらえないだろう。
ではどう考えればいいか?
トラウマ的な出来事は事実として確かにある。しかし、それをどう受け止め、どういう選択を自分の意思でし、どう行動したかによって、生き方に大きな違いが出てくる、というのが愉快な生き方に繋がる柔軟な考えだろう。
実は、そこには意志とか主体性の問題が大きな要素として浮上してくる。
私の知人に同じようなトラウマを抱えている女性が二人いたんだ。二人とも小学生の時に両親が離婚、辛すぎて自殺未遂まで起こした。
一人の女性は「親のせいでこんなにも辛い」と親を恨んで恨んで、ついにはうつになってしまい、高齢者になった今でもうつ症状が抜けず苦しんでいる。感情の波が激しく、リストカットや自殺企図が今でもあり、ほとんど境界性人格障害の症状だ。
もう一人は「そんな親なら私のほうが見捨ててやる」と宣言して、親戚中に連絡して面倒見てくれる人を探し当てた。彼女は自分の意思で主体的に人生を切り開こうとしたんだよね。
思春期も生き生きと部活で活躍し、今でもとても幸せで、素敵な結婚をして、腕のいい鍼灸師として活躍して、愉快に人生を楽しんでいる。つまりはトラウマ的な出来事は客観的な事実としてあるけど、それをどう受け止め、どういう選択を自分の意思でし、どう行動したか? の違いで、人生が正反対になってくる。誰でも多かれ少なかれトラウマはあるのだから、これは愉快に生きるための大いなる智慧だね。

その4 安全基地
亡くなられた河合隼雄さんが「うつはクリエイティブ・イルネスだ」とよく言っていた。
うつで何年も苦しみ、苦しみ抜いた患者さんが回復すると、それまでなかったクリエイティブな能力が賦活してくるケースが多いのだと。絵を描き始めたり、詩や短歌を作り始めたり、作曲や楽器を始めたり、有機農業を始めたり、などなど。つまり、うつはクリエイティブな能力が賦活するために必要な病だ、というわけだ。いいよね、うつはクリエイティブなアートだ、美だ、爆発だ。希望があって救われるよね、凄く。
私がカウンセリングで出会った相談者も回復した時、ほとんどが「うつになって良かった」としみじみ言う。それまで自分のこと、仕事のことしか考えてこなかった自分勝手で我儘な自分が「うつのおかげで周りから支えられていることに気付いた」「うつのおかげで視野が広くなった」「うつのおかげで人間として少しはまともになり、成長できた」とおっしゃる。
実際、ほとんどのミュージシャンやアーティストや小説家や表現者は皆うつや躁鬱を経験している。多分、うつだけでなく、トラウマも発達障害や愛着障害も、きっとクリエイティブ・イルネス=創造性のための病だと思う。つくづくね。多くのクリエイターは皆トラウマをバネにしているからね。そういう意味でも、愉快にクリエイティブに生きるには不愉快(うつ)が必要とも言える。
おもろいね、複雑だね、人間という壊れやすい生き物は。愉快とユーモアとクリエイティブは、もちろん深く繋がっている。そのためにはうつやトラウマが原動力になる、必要でさえある。おお、これまた何という見事で美しい逆説だ。世界は豊かな逆説に満ちている。
でも、クリエイティブ・イルネスが実現するには、やはり条件が一つだけあるというのが、私がこれまで学んできた肝なんだ。
それはね、安全基地。安全で守られていると実感できる場、ほっとできる居場所が複数あること。これって、絶対条件だよ。どんなストレスや症状にも当てはまるんだけど、特にトラウマを過去に体験した人には絶対的に必要なんだね。世界が安全でなく脅威に満ちているって感じながら不安と苦しみの中でやっとこさ生きてきたんだからね。

安全基地の作り方だけど、
まず第一に、自分の外部に、しかもなるべく自分の身近に安全基地を作ること。私は小さいとき、家の中に一人用テントを張って、その中にお気に入りの文房具やらおもちゃやら毛布やらぬいぐるみを山のように積んで、何か嫌なことがあると、その中に逃げ込んで安心できた(高齢者になった今でも時々週末にテントを張っている。さすがに中には本が積んであるけど)。暖かいものに包まれていると、だんだんとふんわかほかほかしてきて「何があっても大丈夫、どうにかなる」って安心感が実感として感じられるようになった記憶がある。テントで毛布(ぬいぐるみ)スキンシップセラピーだよね。これは世界が脅威で不安だらけの多くの高校生たちに勧めている。実際、多くの相談者はテントや寝袋や本棚で囲まれた空間やぬいぐるみで、安全基地を作り儚い自分を守っている。
私の現在の安全基地は、自分の部屋以外でも、お気に入りの公園とベンチ、あとはスタバと図書館も心地の良い空間になっている。誰でも安全基地は作れるよね。例えば、押し入れの中、屋根裏部屋、車の中、図書館だっていい。もちろん、自然の中、お寺や神社の境内、星や海を眺められるとっておきの場所、ほら、いくらでも考えられるし、実際作れるよね?
第二に、自分の中に安全基地を作ること。これには、マインドフルネスや自律訓練法やフォーカシングなど、身体感覚に焦点を当てる方法が一番だよ。安全基地はキョロキョロふわふわ彷徨うのが得意な心で作るのは難しいからね。大地に根を張るように身体に安心軸を作るのが必要なんだ。私の場合、呼吸法とマインドフルネス瞑想(詳しくは後述)が一番役に立っている。それと、小さいころに無意識に描いていた無限大模様。最近知ったのだけど、ブレインジムという技法に無限大を目の前に指で描いて、目の玉をその指に沿って動かすとトラウマに効果がある、って読んでびっくり仰天。何てことはない、昔私が壁じゅうに無限大を描いた絵を貼って飽きることなく眺めていたのは、これだったんだ。知らず知らずのうちに、トラウマセラピーを一人でやっていたことを再発見したってわけ。もしかしたら、私はやはりセラピストに向いていたのかも(単純、脳天気だね?)。
第三に関係性での安全基地。これは分かりやすいよね。仲間や家族や恋人とのほどほどの信頼感、安心感があれば、愉快に生きるのはそれほど難しくはないだろう。もちろん、信頼できるカウンセラーや精神科医との場が安全基地になるのはいうまでもない。最近話題のオ-プンダイアローグも、そんな安全基地を構築するのにピッタリのアプローチだ。オープンダイアローグとは精神科医、カウンセラー、ソーシャルワーカー、保健師が患者の家に出向いて、患者さんも家族も含めて平等の立場で治療方針を皆で話し合うアプローチだ。患者さんが自分を大切してくれるケアスタッフや家族に囲まれて、自分もその中で発言でき方針を決められるという絶対的な心理的安心感があるからこそ、うまく機能する。
その際、安全基地の条件としては、まずは安全を保障してもらえる場であること。共感してもらえる場であること。求めた時にすぐに応じてもらえること。対応に一貫性、安定性があること。何でも本音が話せること。それらが重要なポイントとなるのは言うまでもないよね。
そして、最後に無形の安全基地。これは、哲学や信念、宗教、祈りや瞑想。思い出などだ。私は仏教の教え、石牟礼道子さんのアニミズム、なんちゃってアナキズムやタオイズムが無形の安全基地になっている。
こんな風に四つの安全基地があると、どんなトラウマもうつも精神病も乗り越えられるし、愉快に生きられるし、成長への糧になる。ただし、これはあくまでも理想だよね。あまり厳格に考えなくてもいいかもしれない。誰でも四つの領域できっちりとした安全基地が構築できるわけではないからね。ほどほどの安全基地、ほどほどの安心感、ほどほどのクリエイティブだね。不愉快があってこその愉快な自由な人生だからね。

その5 親密感
愉快に生きるための違った視点もある。
安全基地があれば自然と出てくる観点だけど、それは親密感=仲良し感覚だ。どこかで何かと繋がっているという安心感とも言えるだろう。安全基地の違った言い方とも言える。
人間にはいかんともしがたい悪意や攻撃性や支配欲がある。光と影、天使と悪魔、天国と地獄といった両極端のイメージが宗教の次元で執拗に語られてきたこと自体、度し難い人間のダークな欲望を象徴しているよね。ウクライナでもガザでも、これだけ世界が戦争と憎しみに満ち満ちていて、あっという間に人類滅亡さえ招きかねないのも、他者を思い通りに支配したいというダークな欲望が人間の奥底にあるからかもしれない。
でも、もう一方で人間は助け合いや繋がることでここまで生き延びてきたわけだから、共感や思いやりや親密感が、それこそまんじゅう理論のあんこのように、そのど真ん中にあるはずだ。なので、そのまんじゅうのあんこを掘り起こし、たっぷりと味わい楽しむ必要があるだろう。少しずつでもいいから、周りとの多彩な親密感をほんわかと育てていくのだ。
まずは、自分との親密性、自分を好きでいること。このためのハウツーは前述したように、「私=悩む人」ではなく「私=悩みを観察する人」が基本となる。「なるほど、なるほど、いろいろあってホント大変だね」とやさしく声をかけてあげること。声をかけている主体こそが私だからね。そして、身体との親密性がもう一つの核となる。そのためのノウハウは、第2章で述べた。後はたっぷりと実践していくのみだ。身体の気持ちよさを存分に味わうことで、自分との親密性はずんずんズンズンと育っていくだろう。
二番目に大切なのは、もちろん他者との親密性だ。こちらは分かりやすいけど、誰とでも仲よくすればいいわけではないし、そもそも他者と仲良くするのが苦手な人はたくさんいるよね。かく言う私もその一人だけど。もちろん、他者は人でなくてもいい。私が大好きな画家、熊谷守一さんは蟻が大好きで、蟻が動き回るのを一日中眺めていて飽きることがなく、それだけで幸せだ、と述べていた。養老孟司さんや池田清彦さんをはじめとする理系の賢者は昆虫好きが多く、変わり者などとの評価なんて一切ものともせず、昆虫道を突っ走って世界中の森を駆け回っている。もちろん、犬や猫や小鳥などのペットとの親密性が多くの人を慰め救ってきたことは言うまでもないだろう。暖かいものに触れるもふもふ感覚、ほんわかスキンシップが愉快に生き延びるためのベースになる。
第三に、美や芸術との親密性。こちらも分かりやすいよね。何も有名な絵画や工芸品や陶器や美術品などだけでなく、生活の中のささやかだけどしみじみとした美を発見し触れることこそ愉快に生きるよすがとなる。人によって美は異なるのはいうまでもない。
夫からのドメスティックバイオレンスでうつになった相談者は石の美しさに目覚め、自分だけの美しい石を求めて日本中を駆け巡ることでうつから回復した。また、うつから回復した相談者のほとんどが何らかの美を発見したり表現したりするのを見てきた。絵を描き始めたり、俳句を作り始めたり、楽器を習い始めたり、陶芸を始めたり、といった塩梅だ。素敵だよね。
そういえば、私も無限大模様やタオイズムの太極渦巻き模様に美を見出したり、がんから回復したのち能の小鼓を習い始めて、ずいぶんと救われた。また、座禅を組んで2時間ほどしたとき、突然天使が奏でるようなメロディーが脳の中で鳴り響き出して、音楽と体と心が一つになったような不思議な経験をしたこともあったし、普通にキース・ジァレットのジャズピアノを夜中に聞いていた時、同じように音楽が体の中を駆け巡ってうっとり素敵な至福体験も何度か味わった。もしかしたら、音楽や文学まで含めた広い意味での美との親密性が人間を何万年も前からここまで生き延びさせてきたのかもしれないよね。これだけ美や芸術に癒され、憧れるのだからね。
第四は、自然との親密性。森でも、海でも、川でも、山でも、何らかの自然に触れ、ぽかんとすることで自然や大地に包まれるほのぼのとした安心感・親密感が育っていく。
森林セラピー、登山セラピー、スノーケリングセラピーがうつや不安からの解放につながるケースを沢山見てきた。実際、私がカウンセリングで出会った、心優しさゆえに病んだ学生たちも自然セラピーによって回復したケースが沢山ある。うつや不安や発達障害で休学したり、不登校になった高校生たちの多くが、北海道の牧場や沖縄のサトウキビ畑で長期のバイトをする中で回復した。自然に触れ、生活リズムを改善することが何よりの薬となるのだ。自然の力は偉大なんだね、実に。
もともと、人間は自然の一部だからね。宇宙物理学者の佐治晴夫さんによれば、自分の「自」とは,“自然”のこと,そして「分」とは,“分身”のこと 。だから、自分とは自然の分身,すなわち,自然,あるいは宇宙のひとかけらとしての自己という位置づけになる。なるほど、なるほど。「宇宙のひとかけらとしての自己」,つまり我々は「星屑」である。私たち人間も,その「星のかけら」が集まってできているのだから,脳の中にはるかな宇宙進化の記憶が刻み込まれているといっても言い過ぎではない、という。深いね。 そしてこの宇宙や自然との一体感が悟りともいえ、「故郷に帰ったようななつかしい感覚」が生じるが,その理由が「宇宙進化の記憶」であると述べているんだ。
また、胎児が成長する際、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類という地球の生命の歴史をすべて辿り再現して産まれてくるという。三木成夫さんが「胎児の世界」という素敵な本で、胎内の写真付きで説明しているのは感動的だ。つまり元々人間の無意識の核には全世界、全宇宙が含まれているというわけだ。
なので、根源的には世界との親密性、宇宙との親密性にも繋がっていく。
愉快に生きるには親密性がいかに大切かが、つくづく身に染みるね。

筆者 大澤 昇 プロフィール
日本産業カウンセラー協会認定シニア産業カウンセラー・臨床心理士。
1971年 早稲田大学卒業、2004年 目白大学大学院修了後、企業内カウンセラーや
学生相談室カウンセラー、また大学講師として様々な経歴を持つ。
現場で培った経験を活かし、メンタルヘルス講師や、教育カウンセリング講師、大学の非常勤講師として活躍中。
また数多くの論文・著書を発表しており『やすらぎのスペース・セラピー 心と体の痛みがあなたを成長させる』『心理臨床実習』『トラウマを成長につなげる技術』等の著書がある。