毎年、元旦は、初詣を兼ねた山登りに出かけることにしている。
50年連続50回、南アルプスの前衛峰「七面山」(1989m)に登ってきた。
1700mのところに日蓮宗総本山、身延山久遠寺の別院、敬慎院がある。

山域は、山梨県南巨摩郡早川町だが、お寺の一帯は身延町の飛び地だ。
麓から山頂まで1500mの標高差があり、お寺まではかなり険しい参道となっている。
更に、お寺から上は雪道で、アイゼンがないと登れない。

正面に富士山が聳え、山頂付近から駿河湾から伊豆半島、富士の反対側には、
南アルプスの3000m峰「荒川三山」も顔を出す。

 写真家岡田紅陽(1895-1992)は、戦前、この富士を「神韻霊峰・七面山」として発表した。

戦後「麗容」に改めた。岡田で有名な富士は、本栖湖畔(身延町)から眺めた
「湖畔の春」だろう。長いこと1000円札に使われていた。

いずれも、忍野村の「岡田紅陽美術館」に収蔵されている。
紅陽は新潟生まれ、早稲田大学法科を出て、写真家になった異色の存在だ。
富士の麓、忍野村を終の棲家とした。

同じ時期、横山大観(1868-1958)は「霊峰富士」を描いた。生涯1500点もの富士を描いたという。大観の富士は、風景というより日本の象徴としての富士だ。
国民の精神性に触れた。とりわけ戦前の富士は「戦意高揚」を意図したものが多かった。

「紅陽の富士」は風景写真だが、「神韻霊峰・麗容」には、
こうした意図があったのではないか。

大観は水戸藩士の子息に生まれた。
岡倉天心のもと、菱田春草、下村観山、木村武山らとともに、日本画の革新を求めて
茨城県五浦に「日本美術院」の居を構えた。
写真と日本画の違いこそあれ、戦前・戦後の時勢も入れた
<岡田紅陽、横山大観「富士山対決」>の展覧会があると面白い。

七面山登山に戻る。お寺でのお参り時間を入れて、往復で9時間ほどの行程だったが、
最近は、よる年波に勝てず、10時間以上かかる。昨年は36400歩ほど歩いた。
50年・50回を区切りに、元旦登山を奥多摩、御岳山(みたけ)、日の出山、つるつる温泉に変えた。「おんたけ、ひので、つるつる」とは、何ともめでたいではないか。
それに、小平駅を起点に、御岳駅、武蔵五日市駅と電車で行って・帰れるところがいい。

御岳山(929m)はケーブルに乗らず、参道を登った。
1時間半ほどだが、それでないとご利益(ごりやく)はないと思った。
山頂の神社は、初詣客で賑わっていたが、人気(ひとけ)のない
「奥の院」(1077m)まで行くことにした。

御岳山から1時間弱、ちょっとした縦走路になっている。
小説家・浅田次郎(1951~)の母の実家は御岳山の宿坊だ。
ここで、あちこちから来る修験者や美しい伯母(浅田談)から
不思議な物語の数々を寝物語に聞いた。
それが、ストーリーテラー浅田の原点になったという。
御岳山にまつわる小説に、短編7話からなる「神座す山の物語」(2017双葉社)がある。

その中に、少年浅田の真夜中の「奥の院」肝試しの話があった。
一度行ってみたいと思っていた。

私は、身延町の出身。観光大使も務めている。自ずと、代々日蓮宗だ。
2009年、京都国立近代美術館で「日蓮と法華の至宝」という展覧会を見た。
念を新たにしたのが、絵師と日蓮宗の関わりだ。狩野元信はじめとする狩野派、
狩野永徳と相対峙した長谷川等伯、本阿弥光悦、尾形光琳・乾山兄弟、楽焼の楽家、
葛飾北斎、歌川国芳などの浮世絵師、みんな日蓮宗だ。
「あの世じゃなく、今この世で、幸せにならなくちゃ」 現世利益を説いている
日蓮・法華に、はまったのではないか。
長谷川等伯などは、若かりし能登時代に、日蓮の肖像画を何枚も描いている。

更に北斎、国芳は、ともに「七面大明神」の図を描いている。

(七面大明神の言い伝え: 日蓮が身延山で法話をしていると、若くて美しい女人が現れた。身延の水を1滴やると龍となり、身延山と法華経の守り神であると伝え、
七面山に飛び去った。この時の模様は、国芳「七面大明神示現の図」 身延山妙石坊蔵 に北斎「七面大明神応現図」 茨城・妙光寺蔵に描かれている)

また、加山又造(1927-2004)は、久遠寺本殿天井画に「墨龍」を描いた。
「寺院の天井画に龍」はよくあるパターンで、殊更この「七面・龍」を
意識したものではなかろうが、加山存命ならば聞いてみたい気がする。
ちなみに、今でも、「龍」は七面山・敬慎院 脇の池に住むという。
時折、池は「示現の霧」につつまれる。

最後に、現代作家の富士を紹介しよう。
富士吉田市に住む櫻井孝美(1944~)。「富士と湖と家族と人々」をテーマに、
生活感、幸福感あふれるカラフルでハッピーな富士を描き続けている。
埼玉県出身、日大芸術学部卒、長く山梨県庁職員を務め、現在、美術団体「土日会」会長。
私とは、練馬区立美術館「N+N展」(練馬のNと日芸のN)で知り合った。
以来、殆どの個展を見てきた。そのたびに「前を向かなくちゃ、今、幸せにならなくちゃ」というほっこりした気分にさせる。

「七面山から御岳山へ」この転換は、吉とでるか、凶とでるか。
楽しみにしている。                         

(敬称略)

 

– 筆者 若林 覚 プロフィール –
アートプロデューサー。元サントリー宣伝事業部長、文化事業部長、サン・アド社長。
サントリー美術館副館長・支配人を経て練馬区立美術館館長。
著書に「私の美術漫歩 広告からアートへ、民から官へ」(生活の友社)
共著に「ビジネス感性の時代」(講談社)など。

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