相談室に現れる「青い照明」の主たち

 最近私の周りでは、何故か宮沢賢治がさわっさわっと静かにうごめき始めている。ある友は賢治を巡る旅に出たし、ある友は賢治の謎を解くべく格闘しエッセイを書きあげた。ある友は賢治の詩と童話にメロディをつけて歌い続けているし、ある友は賢治の童話と詩の朗読会を催した。なんで今賢治がこんなに熱いのだろう? なかなかに不思議な現象だと思う。もしかしたら、人生後半の課題に関係があるのだろうか? 私はといえば、生きづらさを感じて右往左往している相談者の物語をたくさん聴く中で、自然と修羅としての賢治のひりひりとしたイメージが浮上してきた。また、あと5年の命だとしたら(現在77歳の風変わりな自由人)、どう愉快に生き愉快に死ぬか? の道筋を模索する中で、賢治の自由人としてのイメージもほんのりと浮上してきた。

 賢治は宗教的人間だったので、インドの人生観にも親和性が高いはずだ。インドでは、理想の人生の指針として四住期がある。学生期、家住期、林住期、遊行期だ。それなりに学び、それなりに家庭を営んだ後は、森に入りそれなりに瞑想三昧で魂を磨き、しかる後にはすべてを捨てて家を出て遊び呆ける(私なりの勝手な解釈だ)。ビートルズとグルと瞑想に憧れて、インドを二度ほどさまよった、なんちゃって修行者=ヒッピーの私は、いつもこんな風に自由に人生を歩みたいな、と夢想しながら生きのびてきた感がある。特に憧れたのは最後の在り方としての遊行期。あらゆるしがらみや束縛から自由になり家を出て一人遊び踊り、静かに朽ち果てて、最後の最後は静かに野垂れ死ぬ。80近くなった我々の世代には、多かれ少なかれそんな根源的な自由=デラシネへの憧れがあるのではないだろうか? そして、いかに愉快に生き愉快に死ぬか、をテーマに掲げてエッセイを書き、心の支えとしてきた私にも、いつの間にかそっと優しく賢治が忍び寄ってきて、囁いたのだ。「雨に負けてもいい、風に負けてもいい。もっと遊べ、もっと歌え、もっと踊れ、もっともっとハチャメチャに生きろ、愉快が足りないぞ」と。

 私のカウンセリングルームには、さまざまな「生きづらさ」を抱えた方々が訪れてくる。最近特に多いのは、周囲の感情や環境の微細な変化を過剰に受け取ってしまい、疲れ果ててしまった方々―いわゆるHSP(ハイパー・センシティブ・パーソン=繊細さん)や、独特の感性ゆえに社会との摩擦を感じて苦しんでいるASD(自閉スペクトラム症=周囲からは「困ったさん」と見られる)傾向を持つ方々だ。ある日の相談室のこと。三十代の、非常に聡明ながらも「孤独で、どこにも自分の居場所がない」と訴える女性が訪れた。彼女はこう訴えていた。 「先生、私は外を歩いているだけで、情報のナイフに刺されているような気がするんです。電柱の影の伸び方、すれ違う人の不機嫌な吐息、空の色が刻一刻と変わること……それらがすべて、処理しきれない音量で私の中に流れ込んでくるんです」

 彼女が語るその景色を聴きながら、私の脳裏をよぎったのは、賢治の『春と修羅』の一節だった。

「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」

 彼女はまさに、自分という存在が剥き出しの「現象」であり、世界という巨大な電気回路に繋がれてパチパチと点滅する真っ青な「照明」であるかのような感覚の中に生きていたのだろう。賢治が百年前、岩手の荒地を歩きながら感じていた「世界との境界線のなさ」故の苦しさは、決して過去の文学的表現などではなく、今この瞬間、都会の喧騒の中で震えている人々のリアルな感覚そのものなのかもしれない。

「診断名」の先にあるもの

 現代の臨床心理学や精神医学は、こうした感覚に「症状」というラベルを貼り、整理しようとする。もちろん、それはそれなりに適切な支援に繋げるための大切な第一歩の可能性はある。しかし、カウンセラーとして長年彼らの魂の伴走をしてきた私には、それだけではこぼれ落ちてしまう大切な何かが沢山あるように思えてならない。彼らは単に「繊細さん、困ったさん」なのではない。 彼らは、普通の人には見えない世界の美しさや、震えるような生命の波動を、誰よりも鮮烈に「受信」してしまっている表現者でもあるのだ。

 賢治もまた、そうだったろう。彼はそのあまりに高い解像度の感性ゆえに、しばしば「修羅」と化し、激しい葛藤の中に身を置いた。しかし、彼はその過敏さを「症状=病」として閉じ込めるのではなく、「心象スケッチ」という形で宇宙へと開いていったのだと思う。 私は、相談室で苦しむ彼らに、賢治という一人の先達(せんだつ)の姿を見せたいと思うようになった。「君が見ているその過酷なほどに美しい景色を、かつて同じように見ていた男がいたんだよ」と。

効率という名の病と、賢治の「無駄」

 翻って、私たちの生きる現代社会はどうだろうか。 AIが答えを出し、タイパ(タイムパフォーマンス)が重視され、すべての行動に「効率」と「利益」が求められる平板この上ない退屈な世界。小中学校の不登校が35万もいる世界はどう見ても尋常ではないだろう。毎日閉じこもってゲームばかりして世界を拒絶して、やがて心身共に腐っていく学生を何人も見た。そこには、賢治が愛した「風と対話する時間」や「星のまたたきに涙する無意味さ」が入り込む余地が、どんどん失われていると思われる。

 「つまらない味気ない世界」だと、心ある人が嘆く声が聞こえる。 しかし、世界がつまらなく腐ってきただけでなく、 私たちの側も世界を面白がるための「感性のチャンネル」を摩耗させてしまったのではないだろうか。賢治の言葉は、そのこり固まったチャンネルを強引に、かつ優しくガチャガチャとかき回してくれる。 彼は詩人であり、農学校の教師であり、科学者であり、熱心な仏教徒でもあった。その多面的な視点から紡ぎ出される言葉は、一つの正解に縛られることの危うさを教えてくれる。 「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」 。このあまりに有名な、そして重すぎる理想論も、単なる自己犠牲的な道徳的説教ではなく、「自分という小さな檻に閉じこもっている限り、本当の癒やしや幸福は訪れないよ。勇気を出して自分を世界に向けて開いていかなあかんよ」という、魂のサバイバルに向けた切実な提言なのだと思われる。

 だけど、賢治の生涯を全体として振り返ってみれば、実は雨にも負けて、風にも負けて、恋や変革への熱き想いも挫折して、人生にほとんどくじけてしまった修羅としての賢治が浮かび上がってくるのだ。しかしながら、だからからこそ、現実や人生にとことん挫けて負けたからこそ、あれだけの宝石をちりばめたような美しい言葉が紡ぎだされたとも言えるのだ。この連載では、セラピーの立場から賢治の光と影のせめぎ合いに焦点を当てていくことで、賢治の多面的、宇宙的な魅力に触れていければと願う。

賢治を巡る旅への招待状

 私は今年77歳になった。人生の後半戦というよりは、もはや「愉快な死へと向かうささやかな円熟」を楽しんでいる最中である。カウンセリングという仕事を通じて、何千という人生の物語を聴かせていただいてきた。その経験と、私自身が愛してやまない賢治の文学、仏教やタオイズム、さらにはマインドフルネスの思想を編み合わせ、これから皆さんと共に賢治を巡る深い旅に出たいと考えている。

 この連載は、アカデミックな宮沢賢治研究ではない。 むしろ、私たちがこの「情報の嵐」が吹き荒れる生きづらい現代を、どうすれば少しでも軽やかに、面白おかしく、そして最後に「ああ、おもろい、それなりに美しい景色だった」と言って幕を閉じられるかを探るための、心の雑記帳、コラージュ(あわよくばアート)である。

 ある時はザ・ブルーハーツ(甲本ヒロト)のパンクな叫びやジャズの中に賢治を聴き、ある時は石牟礼道子や村上春樹の静かな井戸の底に賢治を見出すかもしれない。また、ASDやHSPという特性を、呪いではなく「宇宙との通信手段」へと変換していきたい。この静かな旅が終わる頃、皆さんの目に映る世界の色が、ほんの少しだけ「青い照明」を含んだ、透明で美しいものに変わっていることを願って。

 *本稿の事例は複数の相談内容を再構成し、個人が特定されないよう改変しています。

 *不登校35万人(文科省の令和6年度調査=353,970人)

筆者 大澤 昇 プロフィール
日本産業カウンセラー協会認定シニア産業カウンセラー・臨床心理士。
1971年 早稲田大学卒業、2004年 目白大学大学院修了後、企業内カウンセラーや学生相談室カウンセラー、また大学講師として様々な経歴を持つ。
現場で培った経験を活かし、メンタルヘルス講師や、教育カウンセリング講師、大学の非常勤講師として活躍中。
また数多くの論文・著書を発表しており『やすらぎのスペース・セラピー 心と体の痛みがあなたを成長させる』『心理臨床実習』『トラウマを成長につなげる技術』等の著書がある。