頭より身体が賢い」と述べてきたが、もちろん心へのアプローチも欠かせない。

 ほとんどのカウンセリングは心からのアプローチをメインにしている(心理療法なのだから当然だね)が、愉快に生きるには四つの側面から考えることが必要となる。

身体、心、人間関係、環境の四つだ(ケン・ウイルバーの4象限)。

 もちろん、この四つは相互作用して良きにつけ悪しきにつけ生きる原動力となる。しっかり繋がっているから、どこからアプローチしてもいいのだが、この中では身体が一番アプローチしやすく、効果も表れやすいので、身体からのアプローチが第一優先となる。

 心といっても、最近の知見では身体も含めた脳のネットワークが心=意識を作る、といわれている。つまり、心と身体を明確に分けることはそもそも無理があるということなのだろう。「心の病気は脳のネットワークの不具合、誤作動」と言う精神科医も多い。そういう意味では、心と身体を含んだ脳のネットワークを探索することは、それなりに面白いし、愉快に生きるための大いなるヒントにもなる。つまり、脳のネットワークはもの凄く柔軟性があり、ずいぶん賢いともいえる。特に心の病が重い人には身体だけでなく、脳(思考や感情)へのアプローチも重要になるのは言うまでもない。しかし、脳が生み出す思考はもともと実体がないという考えは頭にとめておいた方が賢いだろうね(何だか混乱してしまうけど)。

 脳科学的には、脳が生み出す思いや私なるものは、極論すれば幻、極論しなくとも単なる物語に過ぎない、という哀しくも不思議な仮説がどんぶらどんぶらこ、と浮上してくる。どうしてかといえば、実は、私たちは、客観的な事実や世界を直接見たり体験しているのではないからなんだ。外部や身体からの情報や刺激を脳がキャッチし、判断し、解釈し直して、世界を見て生きている。つまりそれぞれの人は、自分なりの解釈、意味付け、もっと言えば物語の世界を生きているともいえるのだ。あらら? それなら、誰にでも通じる客観的な真理なんてはなから存在しないのかいな?

 一見摩訶不思議なこの考え方は、脳科学の立場からは正しいんだって。何故なら、脳はカオスや不安や混乱の状態を嫌うようで、それなりのまとまりのある意味付けや物語を作って収まりがいいように編集する機能が本質だと考えられているからだ。誰もが物語の作り手、クリエーター、つまり作家なのだね。何だかワクワクする仮説だよね。カウンセリングの現場では、この仮説は妙にピッタリくる。混乱している相談者にとことん語ってもらい、カウンセラーはとことん、その語りを傾聴する。すると、多かれ少なかれ不安でカオスと化していた相談者の内面は、ある程度語りつくされたことで、もつれた糸がほどけるように、それなりに整理されひとつながりのまとまりのある物語となっていく。相談者なりの自分についての物語を作ることで、何故かカオスや強烈な不安からは解放されていく。どんなに荒唐無稽な、常識からはかけ離れた物語でもいい。取りあえず、まとまりのある自分だけの納得のいく物語が紡ぎだされることが混乱の激しいシリアスな相談者にはまずもって必要なのだ。もちろん、必要ならいずれ物語は変えられる。それなりに愉快に生きられるようにね。この編集プロセスを手伝うのがカウンセリングだ。そういう意味では脳のネットワークはとても柔軟で賢いのだね。

 愉快に生きるベースとして、もっと分かりやすい極端な例を挙げてみよう。

 医療現場で、情動を司る扁桃体を事故で損傷した患者さんは、感情を感じられなくなる。怒りや喜びや不安や笑いに満ちている写真を見せても、どれも同じに見えて感情の区別がつかないという。さらには、一番身近な両親に対してすら親密な感情を感じられなくなってしまう。すると、どうなるか? 脳は混乱して、単なる冷血漢や恐ろしき鉄仮面になるのか? そんな甘いもんでは収まらないというから怖い。そのような状態は脳にとって凄く居心地が悪いらしく、ついには目の前にいる両親は偽者だと言い張り、拒絶するのだ。そのような解釈、うその物語を作ることで、脳はそれなりの安定を図るんだね。まとまりがなく、カオスで心がいっぱいいっぱいだと、愉快どころではなく不愉快が極まって、人間自体が壊れてしまうからなんだろう。

 また、統合失調症の妄想や幻覚も、人格が崩壊してしまわないように、激しい不安や混沌から身を守るために作り上げた、その人なりの安定を図る物語と考えられるんだ。

 だから下手な精神科医がむやみに強い薬で妄想だけを取ってしまうと、却って悪化してしまうケースさえあるという。薬は妄想にではなく、妄想の奥にある強い不安を鎮めるアプローチなのだという。その結果として妄想や幻覚が弱まりな少なくなっていく。つまり、ここでも、行きつくところは物語や妄想ではなく、その奥にある身体の緊張と不安をいかに鎮めるかという、愉快な身体へのアプローチと繋がっていく。カウンセリングでは「今日生きるのが辛い」物語を、「明日も生きられる」物語へと変えていくことが課題になるけど、そんな変化が可能になるのも、実は身体へのアプローチによる不安の解放のお陰なんだね。

 北海道に<ぺテルの家>という心の症状の重い人たちが一緒に暮らしているグループホームがある。以前そこを訪ねたのだが、統合失調症の人たちが凄く明るく表情が豊かで愉快に暮らしていた。生き生きと楽しそうに働いているのを見て、私も思わず愉快になり、笑顔がこぼれおちた。ここでは彼らが作った農作物や工芸品がビジネスにもなっていて、自立しているからなんだろうけど、生活が笑いやユーモアに満ち満ちていたのだ。傑作なのは、毎月「今月の妄想大賞」を決めるイベントがあって、誰の妄想が一番ぶっ飛んでユニークだったかを競ってたんだ。もうびっくりドンキー、ぶっ飛んでしまった。どんなにしんどい状況でも、愉快に生きられる。そのためには、安心できる場で、自由に物語=妄想を作り、ユーモアと笑いに包まれる仲間が必要、というモデルがここにあった。

筆者 大澤 昇 プロフィール

日本産業カウンセラー協会認定シニア産業カウンセラー・臨床心理士。
1971年 早稲田大学卒業、2004年 目白大学大学院修了後、企業内カウンセラーや
学生相談室カウンセラー、また大学講師として様々な経歴を持つ。
現場で培った経験を活かし、メンタルヘルス講師や、教育カウンセリング講師、大学の非常勤講師として活躍中。
また数多くの論文・著書を発表しており『やすらぎのスペース・セラピー 心と体の痛みがあなたを成長させる』『心理臨床実習』『トラウマを成長につなげる技術』等の著書がある。

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