美術裏散歩19 ふるさとを描く
独断と偏見と縁(えにし)から、ふるさとを描く画家を語る。
まず最初に、今獅々貴美子(いまじし きみこ)をご存知だろうか。
1939年徳島県麻植郡川島町(現・吉野川市)生まれ。
間もなく、米寿を迎えるが、旺盛な作家活動をしている。
地元では有名な元・天野病院院長次女。父・保は医学博士で水墨画家(雅号、呑草)。
18才の時、突然の母の死に接し、医術よりも生きている人の心に喜びと感動を与える芸術の道に進むことを決意、東京芸術大学に進み、小磯良平教室に学ぶ。
芸大卒業の年に、パリに行き、そのまま留学を思い立つが、ギメ美術館などを巡るうち、
逆に日本の粋、深い精神性に気づいて、メキシコ、ニューヨーク経由で帰る。
以来、主なテーマは日本の原風景。ふるさと徳島を描き続ける。

移りゆく時の流れ、道、川、田んぼなどを思い入れたっぷりに、鳥瞰的に捉える。
ファンタジー・リアリズムとも言える。

東京の画廊を中心に作品発表。本人は、率先して作品を売り込むことなどしない謙虚さだが、群馬県桐生市の大川美術館のオーナー、
大川栄二(1924-2008、元ダイエー副社長など)の心を射止め、
同館のコレクションの重要な一翼を担う。
私も、度々個展を見ているが、見るたび胸がキュンとし、
時空を超えた遠いふるさとに思いをいたす。
また、40年近く子供向けの絵画教室を主宰している。隔年ごとの個展は、かっての教え子たちで賑わう。今獅々は言う「年を重ねると 生きるとは 死を生きる道程 に思えてくる ならば おしよせてくる 空しさも 孤独の足音も 生きる糧におきかえて 子等と語れる道を歩もう」絵の制作と教室と。かくしゃくとしている。

ふるさとをテーマにした作家と作品を紹介しよう。
この時期は、何と言っても川合玉堂(1873-1957)「早乙女」だろう。
四名の農婦が、田植えにいそしむのどかな光景が描かれている。

一名が立ち上がり、手ぬぐいを巻きなおしている。菅笠をかぶっているのは男性だろう。
中腰でやる田植えのつらさと楽しさが伝わってくる。
私も経験のあるだけに、なつかしい日本の情景だ。
次は原田泰治(1940-2022)。長野県諏訪に生まれ、住みつづけ、ふるさとの自然、風土、文物を描いた。長年にわたり、朝日新聞に連載されていた。馴染みの方も多かろう。

ちょっと北に飛び、雪国・會津を版画で描いた斎藤清(1907-1997)。

岡山出身で洋画家だが、越後瞽女を描いた斎藤真一(1922-1994)。

似通った作風だけに、取り違えやすい。
知る人ぞ知る新潟の写真家、中澤勝(1963- )。ふるさとで、雪国をテーマに情緒たっぷりの写真を撮っている。

2025年、六本木のミッドタウン「フジフィルム・スクエアー」で展覧会をしていた。
私は、サントリーで駆け出しの頃(1971-1976)新潟で酒の営業をしていた。
豪雪地帯で、運転していた車が、みるみる雪に埋もれ、路肩に置き去りにしてきた経験が何度もあるだけに、懐かしく嬉しく、魅入られた。
中澤とは、初対面だったが、しばし雪国談義で盛り上がった。
津軽のふるさと画家は、常田健(1910-2000)だろう。祖父から引き継いだりんご園を営みながら、売るためでなく、描きたい絵を描いた。土蔵をアトリエにし、東北の大地に生きる農民の姿、反戦への思い、ひとときの休息と収穫の喜びなどを描いた。

「土蔵の画家」、「津軽のゴーギャン」と呼ばれ、「常田健 土蔵のアトリエ美術館」を開設した。
北海道へ渡る。木田金次郎(1893-1962)を紹介しよう。
生涯、漁師をしながら、岩内の自然を描き続けた。作家有島武郎(1878-1923)は、
木田をモデルに小説「生まれ出づる悩み」を書いた。
有島の激励を受けながら漁師と画家の二足の草鞋を履き続けた。
有島没後は画業に専念した。
「北海道にいると思ったような絵が描けない。東京に出て仕事をしながら絵の勉強をしたい。なにか職を探してほしい」という木田に、
有島は「その地で、その地の自然と人とを、忠実に熱心に眺める方がいい」と答えた。

このやり取りが、木田を「岩内の画家」にした。
神田日勝(1937-1970)は馬で有名だ。練馬区生まれ。北海道鹿追町に転じ、33才病没。後ろ足が描かれていない馬の絵が絶筆。ベニア版にペインティングナイフで描いた。
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農民画家と呼ばれるのを嫌い「画家である。農家である」と胸を張った。
2029年、NHK朝ドラ「なつぞら」で、吉沢亮演じる山田天陽のモデルだった。
1998年、練馬区立美術館で「神田日勝・深井克美」展が開かれた。深井(1948-1978)は函館生まれ、豊島区に住み、将来を嘱望された洋画家だったが、練馬区のマンションから飛び降り自死した。30歳。
ともに練馬に因縁がある、若くして亡くなった画家の展覧会だった。
北海道の最後に、倉本聰(1935- )と前田真三(1922-1998)を紹介しよう。
北海道のへそ、富良野と美瑛に住み脚本家と写真家として活躍した。
倉本脚本の「北の国からは」、国民的なTVドラマとして一斉を風靡した。
前田の富良野と美瑛の写真は、旅情を誘った。

私は、縁あって、「北の国から」と倉本主宰の演劇塾「富良野塾」に関わった。
倉本自身にも様々なエッセイをお願いした。
そんなこともあり、度々富良野を訪れていた。山好きの私は、十勝岳や富良野岳、芦別岳にも登った。クマにもあった。今にしてみれば、遊びだったか、仕事だったか分からない。
「ビジネス・サイトシーイング」という言葉があるそうだが、多分それだろう。
ところで、倉本はあまり知られていないが、軽妙洒脱な点描画を描く。

才人は何でも出来る。凡人は立場を利用して遊ぶことぐらいしか出来ない。彼我の差だ。
松田静心(しずむね 1960-)の作品に初めて出会ったのは、
2010年、銀座のギャラリーだった。
確か、「hito(ひと)シリーズ」「INochi(いのち)シリーズ」の展示だったと思う。

現代作家の作品には、シニカルな鑑賞をしがちな私だが、妙に惹かれるものがあり、立ち去り難かった。
何せ、色がいい。聞けば、ふるさと・桜島の火山灰を使っているという。(行く先々の土地の土を使って泥絵風な絵を描いている作家もいるが・・・・・)

色と色を隔てる境い目がいい。あの境い目の折れ線は自由奔放、天真爛漫のなせる技なのかそれとも緻密な計算の結果なのか?
世の中至る所、境い目だらけだ、民族、宗教、言語、男女、貧富、文化など、いくらサイバー空間が広がり、グローバリズムを実現しても境い目は残る。
だとしたら、境い目のこちらとあちらで、それぞれ大いに個性を発揮して成長・成熟していく、そして新たなる調和を目指していく。その有様を境い目の上に立って、見てみたいという思いに駆られた。
松田によると
「あれは面と面との重なり合い、ぶつかり合い。桜島の火山灰が、発色性がいいことに気づいたので、とことん原色にこだわってみた。あの折れ線状のものは、面と面を合わせた時、出てくる。その時の気分で、バランスを見ながら修正した。断じて、直線や曲線ではないと思った。いつも無心で描いている。それ程深い境い目意識はなかったが、言われてみれば、そういう見方もあるのかと思った」とのこと。
ところが、その境い目、世界のあちこちで、力尽くで、破られようとしている。
だからこそ松田に言いたい。
「境い目を大事にして欲しい、色と線に、とことんこだわって欲しい」
松田はふるさとを描いているわけではない。ふるさとの自然を、魂を
絵の中にこめているのだ。その意味で、誰よりもふるさと作家だ。
アンドリュー・ワイエス(アメリカ、ペンシルベニア州 1917-2009)のテーマは、境界を巡る表現であるという。

抽象表現主義全盛の時代、時代遅れ、通俗芸術と揶揄されようが、
徹底して境界を描き続けた。あの世とこの世、生と死をつなぐ、家、ドア―、窓。
そこに住むオルソン家の人々、懐かしく、せつなく、哀愁がただよう境界をめぐる表現。
境界は、分けへだてているのでなく、つなぐためにあるのだ。それがワイエスだとのこと。
だとしたら、松田の表現とどこか通底しているところがあるのではないか、とひいきの引きたおしをしてみる。
最後に、同じ松田でも飄々とした松田正平(1913-2004)で終わりたい。

「静心」の力みに対して、こちら「正平」は脱力系。ふるさと・周防灘を望む海岸に寝転がって世の中を見てる。「世の中、なるようにしかならへん。どなたさんも、むずかしいこと言いなはんな」とニヤッと笑う。脇には四国犬。肩の力のぬけているこのメルヘン。

飄逸の画家。「ゆるキャラ」的表現が多い。東京美術学校西洋画科卒。藤島武二に習う。
一学年上には、同郷の香月泰男。国画会会員。1981年日本芸術大賞受賞。
絵を見るたび、ほっこりする。「ふるさとが好きで、好きで、たまらない」
こんな作家ちょっといない。2013年神奈川県立近代美術館・鎌倉で回顧展。
行った。見た。ふるえた。また見てみたい。あのふるさとを。
* 松田静心の作品は、Blue Cover でも紹介されている。ご覧あれ。
(敬称略)
– 筆者 若林 覚 プロフィール –
アートプロデューサー。元サントリー宣伝事業部長、文化事業部長、サン・アド社長。
サントリー美術館副館長・支配人を経て練馬区立美術館館長。
著書に「私の美術漫歩 広告からアートへ、民から官へ」(生活の友社)
共著に「ビジネス感性の時代」(講談社)など。
(2026.6.20 若林 覚)



