平日の午後2時過ぎ、この時間でも長い列。ザッと見て20名以上も。といってこれがこのところのいつもの見慣れた光景だ。大通りから少し入った裏道の、奥の奥に向かう。

まだ寒い中、待つことおよそ30分。鯛焼き「1尾」(@210円)、白い袋に入れてもらい混みあうテーブル席へ。相席を乞うて卓上に紙袋を置き、先ずは奥の洗面室で手を洗い、自動給茶機からお茶を注ぎ、ようやく座すと、「慣れてらっしゃるのね!」と相席の上品な婦人がニッコリ。同年代か。軽いウエーブの白髪がとても印象的。ふくよかな洋装だ。

以前近くの会社に勤めたことがありまして、以来ちょくちょく通っていますからと応えると、「私は久しぶり、もう、ン十年かしら」、食べ終わってゆっくりお茶をすすりながらの問わず語りが続く。見知らぬご婦人とのこんなシチュエーションはもちろん滅多にはないが、この店の楽しみは焼きたての鯛焼きを熱々のお茶でいただく時間だ。至福の。

「こんなに塩が利いてましたかしら?」「甘さが少し変わったようにも、、」とさらに。たしかにと、私。およそ一か月ぶりの焼き立てアツアツを前屈みで味わいながら、、それにちょっと小ぶりで、だいぶスリムにもですねと続けると、大きくうなずく気配が。と、「あらっ!!アタマからですのね、私は尾っぽからでした。」、上からの声に思わず顔を上げると、、、目の前に悪戯っぽい笑顔が、またニッコリ。つい、つい、私まで。

「世田谷からですの。」問わず語りは続く。「懐かしくって、、ほら、お土産まで」と卓上包み置きのふくらみを指さす。けっこうな大漁だ。何より〝ござ製〟包み置きが用意されているのも老舗の細やかさ。テーブルに直か置きではせっかくの〝焼き立て〟もアラ、ララ、すっかり蒸れてしまうのだ。なんとなくこころ愉しいある平日のひとときだった。

  

 鯛焼きなら、四谷に『わかば』あり

 たい焼きは焼き方の異なる「天然物」と「養殖物」に分けられる。鉄板に一気に生地を流し込んで焼き上げる養殖物と異なり、『わかば』のたい焼きも一匹づつ金型に入れて、丁寧に焼き上げる天然物で、時間はかかるが、熟練の腕の本領が発揮されることになる。

 麻布十番の「浪花家総本店」、日本橋人形町・甘酒横丁の「柳屋」などとともに東京の〝たい焼き御三家〟に数えられたりと、遠方からも目指して買いに来る客は少なくない。

 最近の若い方は覚えがないだろう。かつて〝アンツル〟さんとして親しまれた安藤鶴夫(1908―1969)という直木賞作家がいた。落語を始め文楽、歌舞伎に新劇もと幅広い評論を手掛けた多彩なプロデューサーでもあったが、なんでも、氏が四谷に移り住んで知った職人気質の老夫婦がつくる、あんが〝尾っぽ〟まで詰まったたいやきが大いに気に入り、ある大手新聞のコラムで紹介したところ、思いがけず大評判となり、以来、〝たいやきと言えば〟の人気店にまでなったという。
 私が「わかば」近くの会社に入り、縁起の良い尾頭付きとしてお遣い用に求めていた頃は、包み紙にアンツルさんの言葉「たいやきの しっぽには いつも あんがあるように それが 世の中を明るくするように」と書かれていたことを思い出した。なつかしい。
あれからもう五十年も経つのだった。

 ご婦人が帰られた後、ゆっくりと尾っぽを味わう。尾っぽまでタップリ餡が詰まっていて、それもこの店の人気の一つ。〝尾っぽ〟までは、いまも。そう、今日もそうだった。もちろん、サイズも味も少しづつは、、  いやいや、それはこっちのことか?

 見渡せばシニア群に限らず、若い女性連れや、ご近所さんだろう塾通い途中の母娘などなど、客層は幅ひろいが、〝老舗たいやき〟が生み出すそれぞれの笑顔が好い。尊い。

 存分味わい終え、疲れも取れ、だいぶ元気も戻った。よし!、ついでに!!、だ。

 新宿大通りを四谷三丁目方向に進む。勝手知った道、一本目の横丁を左折。そうそう、そのずっと先の、ちょうど突き当たりが西念寺だ。歴史好きにはよく知られた名刹だ。

 徳川家康の家臣で、忍者伊賀者の頭領、服部半蔵の菩提寺、西念寺。徳川家のシンボル〝葵の御紋〟が際立つ鉄扉を横目に、まず半蔵の墓所を訪ね、一礼合掌。すぐ近くの、半蔵が傅役でもあった家康の悲運の子、松平信康の墓前にも手を合わせ、最後に本堂に回り、ご本尊阿弥陀如来像を始め三像にこの国と世界の安寧を、つよく、ふかく、祈った。

 四谷は歴史文化のまち。
もう一カ所、若葉2丁目交差点を左折して坂を下り、篤い崇敬を集める古社「須賀神社」にも久しぶりに詣でた。折しも、和装姿のインバウンド・グループが男坂の急な石段の上で、なにやら撮影に夢中の様。ここはかのアニメ『君の名は。』の聖地として海外にも知られる。ダカラか。今日はにわか歴史文化の散歩だが、併せてサブカルチャー散歩までとずいぶん豪華!境内に牛頭天王スサノオ神を祀る神社らしく牛象がゆったり構えていた。

    


須賀神社の帰り、上り坂の脇に博学で『群書類聚』の編纂でも知られる江戸時代の失明の学者、塙保己一の菩提寺、新宿区指定の史跡「愛染院」もあった。

 最近は男の〝あん(餡)友〟たちからも少しづつだが情報も届くようになり、例えば
〝こんな情報〟まで。

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 『あずき』は、一万年前の縄文時代から日本に野生種があったと最近の研究で明らかになった。ビタミンB1を豊富に含むため、白米食中心だった江戸時代から民間療法として脚気(かっけ)の予防によく食されていたこともよく知られる。

 さらに最近の研究では、小豆には食物繊維としての機能だけでなく、ポリフェノール含量が高く、老化の原因となる活性酸素を除去する効力も大との報告もあり、評価が高まっているとも。

*「あずき 大学教授が教えるすごい食べ方 大全」
(株)文響社・刊 監修:愛媛大学大学院教授 伊賀瀬道也

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 そんなうれしい情報を追い風に、今日もトコトコ、トコトコ、「和菓子旅」行脚へ。
早春の風の中、ほんのささいな寄り道、道草だが、なんだか心愉しく、クセになりつつある。

 (つづく)

庵 日和(いおり びより)
編集者 裏まち裏通り旅人(りょにん)
北国の小さな城下町生まれ。
ラジオ・テレビ、WEBサイト等で
企画・制作・広報PRを手掛ける。
歩く・見る・浸かる・食べるを趣味
に、小さな物語を採集、編集。

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