松田靜心という画家のこと ── 上下のない絵の、見かた #18
絵には「正しい向き」がある——多くの人が、なんとなくそう思っています。上と下が決まっていて、その通りに掛けるものだ、と。
けれど、上下のない絵があります。どちらを上にしても成り立ち、掛けるたびに少し違う表情を見せる。そういう絵の前に立つと、私たちはなぜか、自分の側を問われている気がします。今日はどちらを上にしたいか。その小さな選択は、たぶんその日の心の状態と、どこかでつながっています。
鹿児島県出水市生まれの画家・松田靜心(まつだ しずむね)さんの絵は、そういう絵です。
生と死の、あわいを描く
松田靜心さんは、独学で絵の道に入りました。1989年から個展を重ね、2024年で35周年を迎えています。故郷・桜島の火山灰を絵具に混ぜ、幾層にも塗り重ねる抽象画。その主題は、「生と死」「生きること」です。
生と死は、向かい合う二つのものではなく、地続きのものである——その画面は、そう語りかけてくるように思うのです。明るさと暗さ、輪郭のあるものとないもの。そのあいだのグラデーションこそが「生きている」という状態なのだと。塗り重ねられた絵具の層は、過ぎた時間の厚みのようにも見えます。
だからでしょうか。この絵には、はっきりとした上下がありません。「こう見るのが正しい」という一つの答えがない。上下のない絵は、見る人のその日の心に、向きをゆだねているのです。
「どちらでも良いんです」
松田さんの絵についての批評文『松田さんの絵は上下はどちらでも構わない?』に、忘れられないやり取りがあります。この一節は、自社に松田さんの絵を飾ることにした渋澤健さん(シブサワ・アンド・カンパニー㈱代表取締役)が、その来訪の折を綴ったものです。
「どちらが上で、どちらが下なんですか?」
10年以上前、たくさんの作品を抱えて来社してくださった松田さんに、渋澤さんはそう尋ねたそうです。返ってきた言葉は——
「どちらでも良いんです。お気に入りの方で。」
松田さんは、ちょっぴり恥ずかしそうな笑顔でそう答えた——渋澤さんはそう書き留めています。作品について理屈で語られた言葉より、この短い一言のほうが、かえってこの画家の芯に触れている気がします。絵が完成するのは、描き終えたときではなく、誰かが向きを決めて、暮らしのなかに迎えたとき——そう言われている気がするのです。
心の、その日に合わせて
美術館で対峙する絵と、部屋に迎える絵は違います。前者が私たちに少しの緊張を強いるとすれば、松田さんの絵は、こちらに何も要求してきません。「あなた次第ですよ」と、見る人の解釈にゆだねてくれます。今日の自分の気分で、向きを決めてよい。忙しい朝には片方を上に、静かな夜にはもう片方を上に——同じ一枚が、そのつど違う顔で応えてくれます。朝の光、夜の照明。時間帯によって層の見え方が変わるのも、この絵の楽しみのひとつだと思うのです。
この文脈に合う一点として、松田靜心さんの《明日、見たかもしれないブルー・ローズ》を挙げておきます。今日と明日の境に何があるのか、今日はブルーなのか、ローズなのか。

松田靜心さん自身の言葉は、note のマガジン『スープカレーとソフトクリーム』でも読むことができます——本来出会うはずのない食べ物の取り合わせをめぐる断章は、そのまま彼の絵に通じる、世界の味わいかたの記録です。 一枚の絵に「正しい向き」を求めないこと。それはきっと、その日の自分に、静かに戻っていくことでもあるのだと思います。



