『おとこ の 和菓子』みちくさ〝あん〟ぎゃ#6 豆大福
最近のちょっとした手土産は、基本〝和菓子〟となる。
向かう先への「経路イメージ・トレーニング」。あそこへ行くなら、そうそう、あの店へ。あの駅行くなら少し遠回りでも途中下車。目指すはあのまち、あの和菓子屋へとなる。
先日も、日本橋の知人の事務所へ向かう折、手土産用にと京橋の和菓子屋『桃六』を訪ねた。こちらはあまり並ばず入れ、気軽に立ち寄れる重宝な店。人気のどら焼きは、やや小ぶりだが粒あんずっしりで、旨さも食べ応えも抜群。いつも大好評だ。〝どら焼き〟は消費期限が翌々日までと三日もあって大いに助かる。時間に関係なく、気軽に求め、気軽に渡せる。
その点『大福』は困る。ほとんどの店で「本日中にお召し上がりください」と念押される。実に困る。午後の遅い時間の手土産は避けなくてはならない。「今日中にどうぞ」が困る。
困るが、どうにも仕様がない。店自慢の〝餅皮〟に、こだわりの〝あん〟。そしていんげん豆のアクセントが追いかける。口福。満福。豆大福はいくつもの〝福〟がある和菓子なのだ。
そうそう、「『大福』といえば、「豆大福なら『瑞穂』かしら」、四谷のたい焼き屋で相席したシニア女性のふくよかな笑顔が浮かぶ。「ええ、『瑞穂』と『松島屋』、それに、音羽『群林堂』もですね」と知ったかぶりで応えたものの、『群林堂』の豆大福はかなり以前の記憶。『瑞穂』だってずいぶん日が経つ。東京三大豆大福のもう一店『松島屋』など未開拓だった。
それではイケない。それではザンネン、それではガッカリだ(なにより自分に対してだが)。
『豆大福』あんぎゃ 第一章 高輪一丁目へ
時間と好奇心だけは充分。ならば、いざ!! 都内〝豆大福・三大評判店〟へ。
五月半ば、今日こそ銘菓の豆大福をと朝の寄り道、回り道、人気老舗『松島屋』に向かう。
広く知られる『豆大福』の老舗だが、いささか馴染が薄い場所で先延ばしにしていた店だ。最寄駅からラッシュ帯は避け、私鉄を乗り継ぎ、何とか10時前に「白金高輪」駅に到着。
そこから桜田通りを右折。しばらく進むと魚籃坂下の交差点。また右折し、強い陽射しの中、高輪一丁目の緩い上り坂をひたすら進む。魚籃坂、伊皿子、と時代劇に出てくる町名が続く。汗ばむ目頭で交差点を睨み、更に右折すると前方バス停前に松島屋の赤のれんが見えた!

先客四名の後について並ぶ。直ぐに順番が来て、小ぶりだがプリプリの豆大福を購入した。
2個入りと、4個入りで計6個所望。@250円×6個で千円札2枚渡す。お釣りを手にまた道を戻りかけて気が付く。お釣りが多すぎる。どうやらこれは一個、計算を間違えたようだ。あわてて引き返し返金すると、店のスタッフは始め怪訝そう。やがて理解して丁寧な謝意。これで気持ちよく美味しい品が戴けるというもの。旧い下町で、昭和なふるまい?か。回り道して銀座のオフィスに向かう。さっそく事務所仲間とお茶会・試食会。旨さに皆なが唸る。
やや小柄の一品だが中身はしっかり。たしかにビッグスリーの一つだ。餅皮は口当たりやさしく、甘さ控えめのあんに、ほど良い赤インゲン豆の存在感。なるほど長く親しまれる訳だ。口中にあんの旨味がゆっくりとひろがり、思わず声に出る。もう1個軽く行けそうだ!と。
1918年(大正7年)創業。100年以上変わらず造り続けているとは、なんと貴重なことか。魚籃坂、伊皿子、高輪、、、泉岳寺にも近い下町風情が残る一画での変わらぬ営みに深く感謝。
今度は山手線の新駅からも歩いてみよう。高輪ゲートウエイ駅徒歩12分と知る。よし!!
『豆大福』あんぎゃ 第二章 若者のまち・原宿交差点へ
五月の半ば過ぎ、強い陽射しの中、原宿駅を降り目当ての豆大福店『瑞穂』に急ぎ向かう。

相変わらずの混雑、行き交う10代~20代の若者たち。土地柄、外国人比率もかなり高い。平日午前10時を過ぎた。明治通りとの交差点から表参道方向へ、右側を進みすぐ脇道へ。と、見えてきたのは日傘の列。およそ20名ほどだろう、脇道半ばの濃い存在感。20~40代と比較的若い女性層の中に、ビジネススーツの男性もチラ、ホラ。シニア層はやはり少ない。 20分ほどして順番が来た。狭い店内だがショーケースの中にも上にもふっくら丸いお姿が。豆大福はこしあん、つぶ餡。みそ餡、、 〇〇あん、、 いろいろあって、これもまた困る。

五個入りの紙袋はかなりどっしりして、重い。たしかな存在感だ。個包装の洗練された提供スタイルは土地柄。〝原宿の手土産〟仕様だ。伝統の和菓子までセンスのいい贈り物となる。
午後1時、銀座の知人オフィスにお邪魔し、親しい仲間たちと早速シェアしていただく。たっぷりのあんと大粒の赤いんげんの食感、甘さ控えめのあんは舌の奥の方でほど良い塩味のアクセントも。なによりプリプリ大福感と透明個包装のオシャレ感が皆の評判だった。
1981年の創業と比較的浅い年数ながら、手土産人気は最も高いと評されている。なるほど。
『豆大福』あんぎゃ 第三章 名刹・護国寺前へ
五月下旬。真夏日の予報が早くも各地で懸念される中、久しぶりの音羽へ、群林堂へ。
最寄り駅から私鉄を4つ乗り継ぎ、東京メトロ有楽町線でようやく護国寺駅に到着した。5番出口から地上へ上がると目の前は老舗出版社、講談社の本館。低層ながら存在感抜群だ。この界隈、ちょっとレトロで落ち着いた雰囲気が漂う。近くに護国寺があり、江戸川橋側には戦前戦後の政財界重鎮の館『鳩山会館』も建つ。お茶の水女子大、日本女子大もごく近い。
「群林堂」はこの地で110年となる。1916年(大正5年)創業。三大豆大福の最古参だ。
現在午前11時半過ぎ。品切れが気になる時間だったがなんとか買えた。前のお客がなんと箱入りで6箱も求めていて正直ハラハラ。今日は自分用だけと二個だけ求めて店を出た。
向かうは百メートルほど先。大きな交差点に面した山門が見える。古刹の『護国寺』だ。

真言宗豊山派の大本山として知られる。というよりも第五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の願いにより1681年創建の寺として知られ、〝元禄文化〟をいまに伝える重要文化財として、また大隈重信など著名人の墓所としても名が轟く。四季を通じて花や樹木の名所ともなっていて、一画の樹陰に数脚のベンチが置かれた中、ベビーカーを揺らす若いママや高齢女性、少し離れて女子学生も一人、強い陽射しを避けて涼んでいる。そこへまた一人、高齢男性が。
ペットボトルを開け、さっそく豆大福を戴く。薄い衣をまとったつぶ餡とこんなに!と驚くほどの赤いんげん。あんのしっかりした甘さといんげん豆の粒の大きさとハンパない数!!ホント、こんな入っていていいの?と心配なほど。食べ応えと満足感こそ群林堂の豆大福だ。
ちょっと武骨(失礼)で朴訥で、見た目の姿形にこだわらない質実剛健こそまさに、と納得。ごちそうさまでした。

広大美麗な古刹の門前、また出版の雄の眼前で100年。群林堂もまた音羽の地の〝宝〟だ。
♠ ♠ ♠
五月。例年になく早い夏の到来の中、気ままな好奇心で歩き巡った東京〝豆大福三大店〟始まりは、そう四谷のたい焼き店の思わぬ相席のひょんな偶然から。美味なる一期一会、か。
さて、和菓子旅が嵩じて、先日こんな一冊に。『お菓子の船』(上野 歩 著 講談社文庫)。偶然だが講談社からの発刊とは。そして太平洋戦争末期、戦艦に残る羊羹秘話って?(続く)
庵 日和(いおり びより)
編集者 裏まち裏通り旅人(りょにん)
北国の小さな城下町生まれ。
ラジオ・テレビ、WEBサイト等で
企画・制作・広報PRを手掛ける。
歩く・見る・浸かる・食べるを趣味
に、小さな物語を採集、編集。



