何も足さない、何も引かない

「何も足さない、何も引かない」は、サントリーシングルモルトウイスキー「山崎」の広告コピーだ。サントリーの宣伝制作部長時代に私が担当した。
モルトウイスキーは、ローヤル、オールド、角などのブレンディドウイスキーに比べ、少数派だったが、その毅然とした姿をコピーにした。やがて、ウイスキーの個性派として確固たる地歩を築いていく。今や、その人気は加熱して、品薄ですらある。
岸野(1972- )の彫刻を目の当たりにしたとき、あるがままの素材の声を聞き、その素朴な良さを引き出した姿勢に、「何も足さない、何も引かない」を思い出した。

寺田美術 岸野承個展と最初の出会い

その岸野から、南青山「寺田美術」での個展(2026・3・28―4・2)の案内が来た。
「お元気でしょうか。どうぞお出掛け下さい」とある。
画像は、差し伸べられた手だ。苦しみ、悲しみ、迷いにそっと手を差し出している。
この手にひかれて出かけた。

岸野承 手

寺田美術は、青山の骨董通りを15分ほど下る。看板がかかっていた。

うまくはないが、味のある、深みのある書だ。
さぞかし名のある書家の手によるものだろうと思い「どなたの書ですか?」と聞いたが教えてもらえなかった。久方ぶりの岸野の作品群だ。素材は流木、石ころ、寺社の古材だ。
それをもとに、ちょっと手を加えたり、削ったりして、つくっている。
とりわけ、羅漢や地蔵などの佇まいに魅入られた。

墓地を見下ろすテラスにまで岸野のしつらえがしてあった。

岸野の個展は、銀座一穂堂で見たのが最初だ。妙にあたたかいほのぼのとした感情にとらわれ、しばらく立ち去れなかった。
その後、日本橋高島屋美術画廊やTRINE GYALLERYなどで見てきた。
これだけ見ると既視感にとらわれ「あ、またこれか」と、ランスルーしてしまうのだが、見るたび新鮮な感動と驚きを覚える。「作品が語っている、謳っている」のだ。
いや作品ではなく、作品と作品を覆う環境が一体となって語りかけているのだ。
岸野承は語っている。
「日本の文化というものは俳句でもなんでも、行為もふくめて見えている部分は一部分であって、あとは感じたり読み取るというものがほとんどだと思います。
俳句もほんの一瞬を切り取ったりするでしょう?わたしは彫刻でそれをやってるんです」(日本美術工芸協会<美しとき>より)

ロンドンギャラリー 橋本雅也 六田知弘展

白金高輪のロンドンギャラリーの「現し(うつし)橋本雅也 六田知弘」展に出かけた。こちらの看板の書はきっちりした楷書風だ。同じビルに居を構える杉本博司の手によるものだという。

橋本(1978- )は初めてだったが、六田はほとんどの展覧会を見ている。
「現し」展の案内も六田から送られてきた。いつでもどこでも(金沢だって)案内が来る。
六田(1956― )は早稲田大学卒の気鋭の写真家。
写真集もボロブドール、雲崗石窟、サンティアゴ巡礼の道、OKUGAKE(吉野から熊野へ)仏宇宙、運慶、ロマネスク、3・11時のイコン、水の貌、火/風の貌、地/空の貌など名著が多い。
その中で、地/空の貌の写真集(加島美術)のコメントを書いた。

六田知弘 地・空の貌

「六田は、奈良の出身である。土門拳と入江泰吉は奈良を舞台に競い合った。
土門拳は、<古寺巡礼>で部分から全体が見えるリアリズムあふれる仏像写真を、
入江泰吉は、<大和路>や<會津八一と奈良>で大和しうるはしのリリシズムあふれる風景写真を撮った。
土門に憧れ、絵画から写真に転じた六田は、土門流リアリズムと入江流リリシズムを兼ね備えた気負いのない表現者として大成するような気がしてならない」
何ともおこがましい物言いだ。

橋本は、岐阜県高山生まれ。インドの旅で拾った流木から創作を始め、鹿の骨や角、木、土、石など自然素材から作品を作るという。ロンドンギャラリーの展示作品を紹介する。

岸野が仏性、神性をおびてきているのに比べ、橋本は、抽象性を深めてきている。


流木彫刻家を自認している作家にヒナイジ・ユヅル(1978- )がいる。
静岡県浜松生まれ。元は家具職人、旺盛な作家活動をしている。
岸野や橋本の内的志向に対して、ダイナミックで繊細な具象彫刻が多い。

ヒナイジ・ユヅル 黒鵜のつがい(左) 流木彫刻(右)


柳宗悦と木喰 民藝運動が始まった

柳宗悦と木喰の出会いを紹介しよう。
1924年、柳(1889-1961)は、甲府の素封家で、朝鮮陶磁器の収集家でもあった小宮山清三宅を訪れた。その頃は、浅川巧(甲府出身)と朝鮮陶磁の研究に勤しんでいた。
小宮山の玄関脇にその仏像はあった。柔らかく微笑んで、そっと手を合わせている。
「これは一体誰の?さぞかし名のある仏師の作であろう」
小宮山は答えた「木喰という。木の実を食べながら仏像をつくり 全国を旅し、700体を超える仏像を作った」この出会いは柳にとって衝撃だった。

地蔵菩薩像

すぐさま、木喰仏を訪ねての全国行脚。これが民藝運動のきっかけになった。
木喰(1718-1810)は、山梨県身延町丸畑の出身、生家跡に木喰微笑館が立つ。私の生家とも近い。度々訪れた。
私と岸野との出会いは、それには程遠くて、少し近い。

バカもの呼ばわりの建築設計家

ところで、流木や石ころで彫刻作品を作る有名な建築設計家がいる。Iという。
銀座のギャラリーの展覧会を覗いた。
やり取りを紹介する。
W「いいですね。自由奔放で。肩の力がぬけて、天真爛漫ですらある」
I「バカモノ!天真爛漫とは何だ。こちらは計算づく、理詰めでつくっている。建築と同じ手法だ。謝れ!」
W「バカモノとは何ですか。謝りませんよ。感想を述べただけですよ」
Wは私。Iは同門でもあり、その品性のなさは、恥ずかしくて、敢えて紹介しない。
「何も足さない、何も引かない」どころか、「あの手この手で、足したり、引いたり」してつくっている。だから建築も、彫刻も人の心をうたない。
ちなみに、「何も足さない。何も引かない」は、禅のことばと聞く。

仙厓義梵の禅画

岸野は禅の影響を受けている。
江戸時代の禅僧に仙厓義梵(1750-1837)がいる。臨済宗古月派の僧侶だ。
美濃国生まれで、博多の聖福寺に没した。肩の力のぬけた洒脱・飄逸な禅画を描いた。

仙崖 〇△□(左) 指月布袋画賛(右)

岸野も、多分こんな境地を目指してる。「かえるになれ!岸野」

座禅蛙画賛

今後に期待 岸野ファミリー展と静物画の立体化

2013年に軽井沢ニューアートミュージアムで「岸野忠孝、承、寛~継承される心」展が開催された。

岸野忠孝・承・寛展(左) 岸野忠孝・山、承・坐(右)

父忠孝(1935― )は水墨画家、弟寛(1975- )は陶芸家。
残念ながら見逃したが、こうしたファミリー展がもっとあってもいい。
とりわけ、「承と寛の競い合い」は何度も見てみたい。
岸野は愛知芸大出身、笠井誠一(1931-2025)は愛知芸大油彩画の巨頭、
絵画集団「立軌会」の牽引者で、シンプルな描線で緻密に構築された静物画を描いた。
2018年、練馬区立美術館で笠井誠一展を開催した。好評を博した。

若い時、札幌から上京して、練馬に住んだ。
イタリアのジョルジュ・モランディ(1890-1964)こそ静物画の第一人者だ。
奥の深い静謐なタッチは、見る人を唸らせた。

モランディ 静物画

そうした静物画の世界を、岸野ならどう立体にするか、見てみたい気がする。
ものを突き詰めると神々しさに至る。
流木を極めるのはよかろう。が、新たなる変転と飛躍を願う。

(敬称略)




*岸野の作品は、Blue Coverでも紹介されている。
 ご高覧あれ。


– 筆者 若林 覚 プロフィール –
アートプロデューサー。元サントリー宣伝事業部長、文化事業部長、サン・アド社長。
サントリー美術館副館長・支配人を経て練馬区立美術館館長。
著書に「私の美術漫歩 広告からアートへ、民から官へ」(生活の友社)
共著に「ビジネス感性の時代」(講談社)など。

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