美術裏散歩22 美術家ファミリー その① 「舟越保武」
舟越桂展と佐々木宏人
2008年の夏だったか、東京都庭園美術館の「舟越桂 夏の邸宅アールデコの空間展」に出かけた。男とも女ともつかない両性具有な身体と長い耳を持った木彫があった。
というより居た。こんな生き物が居たのかと、妙にざわざわと落ち着かなくさせた。
「スフィンクスシリーズ」という。その向こうに、見知った顔が居た。「佐々木さん、どうしてここに?」思わず問いかけていた。

佐々木宏人という、毎日新聞名古屋本社代表だった。
山梨出身の私とは、佐々木が甲府支局長を努めていた頃からの知り合いだ。
その後、経済部長を経て広告局長と昇進し、サントリー宣伝部長だった私とは一層付き合いが深まった。
毎日新聞とサントリーは、創業者鳥井信治郎時代から親戚づきあいで、広告代理店を介さず直接広告出稿していた。稀有な例だ。
「何、言ってるんだよ。私は舟越桂(1951-2024)の従兄弟なんだよ」「ええ! ということは、舟越保武は叔父さん?」「私の母と舟越保武の奥さんは、姉妹にあたる」
舟越保武展
舟越保武(1912-2002)は、若い頃、練馬駅至近の「アトリエ村」に住んだ。池袋モンパルナスほど有名ではないが、佐藤忠良、荻太郎、西尾善積、朝井閑右衛門などもいた。
練馬区立美術館の展覧会方針の一つは、「練馬区ゆかりの作家」を紹介することにある。
そんな縁で2015年、「舟越保武展」を開催した。舟越ファミリーが集結した。
そして、あの方の御来臨の栄を賜った。美智子皇后陛下(当時)だ。

長女・末盛千枝子(1941- )は絵本の編集者で、皇后陛下の絵本の編集・出版を手掛けている。私もご案内役を努めさせて頂いた。

練馬区立美術館長を2010年から2017年まで努めたが、質量ともに最も充実した展覧会であった。
舟越の長男・一馬は生後8ヶ月で病死した。それがきっかけでカソリックに入信した。以来、カソリックをテーマにした作品が多い。聖クララ、ダミアン神父、原の城等である。

圧巻は長崎西坂の「26殉教者記念像」だろう。豊臣秀吉の命で、引っ立てられた信徒26人は京都・大坂を出て西国道経由長崎についた。西坂の丘で全員磔の刑を受けた。悲報はローマにも届いた。その様子を彫刻にした。

晩年、脳梗塞を患い右手が不自由になるが、粗削りに見えて、細心精密な「ゴルゴダ」を制作した。

舟越直木
三男・直木(1953-2017)も彫刻家である。

節足動物を思わせるような長く緩やかな曲線の作品や、心臓を暗示させるハート型をした作品、単純化された人間の輪郭を想起させる絵画や彫刻などの抽象表現を得意とした。

練馬も10数点の作品を所蔵している。
その直木が、越後妻有アートトリエンナーレで、小学生と作った「星の誕生」(野外彫刻)と「舟越直木展」(越後妻有里山現代美術館)の見学ツアーが組まれた。
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銀座の彫刻専門のギャラリー銀座の彫刻専門のギャラリー「せいほう」のコーディネーションだ。
オーナーの田中譲はこの道40年、彫刻の研究者でもあるが2024年閉廊した。
舟越直木の繊細さ優しさに心洗われたツアーだった。
直木、64歳没。もう少し永らえてほしかった。更なる作品の広がりと深みを見てみたかった。ギャラリー「せいほう」ともども残念でならない。
舟越保武ファミリー

ファミリーを紹介しよう。末盛千枝子、舟越桂、直木については既に書いた。
舟越道子(1916-2010)は、旧姓坂井。1940年に保武と結婚。自由律俳句作家。
佐々木愛子(1914―2008)は、道子の姉。宏人の母。随筆家、染色研究家。
佐々木苑子(1939― )は、宏人の姉。染織家。絵絣・紬織の人間国宝。
2009年旭日小綬章。

舟越苗子(1943― )は、保武次女。画家・彫金家。
茉莉・アントワーヌ・舟越(1946―)は、保武三女。パリ在住。
ドキュメンタリー・シルクスクリーン作家 舟越カンナ(1960- )は、保武四女。絵本作家。
何とも、錚々たる芸術家ファミリーである。しかも全員カソリックである。
佐々木宏人再録
佐々木宏人についてもう少し触れよう。
著書に「封印された殉教(上、下)」(フリープレス)がある。

終戦3日後に殺害されたカソリック横浜教区長、戸田帯刀の謎を追うドキュメントである。 戸田は山梨県牧丘町出身、生家は大きな養蚕農家。甲府盆地を見下ろす高台にある。
地元・日川中学から東京・開成中学に学ぶ。
カソリックに目覚めローマ・ウルバノ大学に留学、司祭への道を歩む。
戦前、戦中、反戦を叫び続ける。
元憲兵が時効15年を経た1960年頃、自首してきたが、
当時の東京大司教館はうやむやにした。何故か? 佐々木は書いている。
「戦争協力の責任追及を恐れる教会上層部にとって不都合な真実だったのかもしれない」
山梨(甲府)とカソリック双方に縁のある、佐々木執念の畢竟の大作である。
その佐々木、四肢の末端から筋力低下が進む「ミオパチー」という難病に冒されていた。
生来の豪放磊落さで周囲を明るくしていたが、2024年11月23日、遂に逝く。
葬儀は、カソリック荻窪教会で執り行われ、私も参列した。
佐々木最後の言葉
「宏人」
知りたいことがある 読みたい本がある 見たいドキュメントがある 行きたい展覧会がある 聞きたい講演会がある 気になる社会問題がある 討論したい友人がいる 会いに来る子どもや孫がいる となりに愛する妻がいる
重いカラダと かるいココロ 楽しい人生だ ありがとうじゃない ありがたい。
心からありがたい。そんなぼくの口ぐせは、いつだって「OK牧場」
終生ジャーナリストである。そしてアーティストでもある。
気になる美術家ファミリーを紹介したい。
まずは、吉田博ファミリーである。
吉田博(1876-1950)は日本山岳会の草創期メンバーで、キャンバス担いで山に登った。
「剣山の朝」や「穂高」など、山の名作が多い。

よほどの山好きで、長男に「遠志」、次男に、「穂高」と名づけた。
夫人・ふじを(1887-1987)、穂高の妻・千鶴子、孫・亜世美、皆、画家である。
新宿区下落合にアトリエを構え、マッカーサー夫人も度々訪れた。
英国王室ダイアナ妃もファンで、とりわけ「瀬戸内海の帆船」を愛蔵した。

次に若林奮、淀井彩子ファミリーである。
美術の仕事を始めた頃、「若林覚さんは若林奮さんの親戚ですか?」と聞かれたことがある。 せめて「遠縁だ」くらいに嘯きたかったが、若林奮も知らず、匹夫、凡才振りを嘆いたことを覚えている。
若林奮(1936-2003)は、日本を代表する抽象彫刻家である。屋外彫刻では、横須賀美術館の鉄の谷「Valley」や府中美術館の「地下のデイジー」で知られるが、
2024年練馬区立美術館に「Run and Rest」が寄贈された。

2026年、記念の展覧会が開かれた。夫人の淀井彩子によると「Valley」は人の谷であり、「Run and Rest」は犬の谷である、とのことである。

淀井彩子(1943- )の絵画は奥が深い。「芭蕉図」「土地の名・土地の色・土地の時間」「芯・時間・色彩」は「命の胎動」を思わせる。

長女・紗絵子(1972―2008)は、36才パリで客死するが、
没後最初の展覧会は練馬で開催(2010)した。才能は惜しまれる。
次女・夏欧(1977-)は、無邪気で童話のような絵を描く。
妹・由利子(1975-)も画家である。
父・淀井敏夫(1911-2005)は、日本を代表する具象彫刻家だ。
舟越保武と同じ時代を生きた。
故郷・兵庫県朝来市には記念美術館と大作が残る。

今回の紹介は、触りのみである。もう少し知識・見識を蓄え、次の機会を待ちたい。
(敬称略)
2026.9.20 若林 覚
– 筆者 若林 覚 プロフィール –
アートプロデューサー。元サントリー宣伝事業部長、文化事業部長、サン・アド社長。
サントリー美術館副館長・支配人を経て練馬区立美術館館長。
著書に「私の美術漫歩 広告からアートへ、民から官へ」(生活の友社)
共著に「ビジネス感性の時代」(講談社)など。



