澤田泰廣

澤田泰廣作品

1985年、サントリーの宣伝制作室長に就任した。36才の新米だった。
その時、東京芸大・美術学部デザイン学科を卒業して、デザイナーとして入社したのが
澤田泰廣だった。
新人同士のデビューだ。
しばらくして「面白いものつくりました」と言って、見せられたのが角瓶のポスターだった。

ニューヨークのADC賞(アートディレクターズクラブ)に応募していいか?」と聞く。
角瓶の宣伝方針とも違うが、表現として飛び抜けている。「おもろい。やってみなはれ!」と思わず口走っていた。
「やってみなはれ!」はサントリーの遺伝子だ。それが澤田との最初の出会いだった。
それが、いきなり準グランプリを獲得した。
澤田の祖父、澤田政廣(1894-1988)は、芸術院会員、文化勲章受章の彫刻家で絵画、陶芸、版画、書にも秀でていた。
その作品は、力強く生命感と詩情にあふれている。
熱海(熱海市立)や糸魚川(谷口美術館 村野藤吾設計)に専用の美術館がある。
血縁のことは、本人は、一切触れなかったが、グラフィックデザインを極めるだけでなく、澤田ならではの、多岐に渡るアート活動を見てみたかった。
やがて、独立、「澤田デザイン室」主宰を経て、多摩美術大学で教鞭をとる。
今は、グラフィックデザイン学科長兼教授を務める。

葛西薫 上田義彦


同じ頃、サン・アドのデザイナー葛西薫(1949- )が若手のカメラマンを連れてやってきた。
上田義彦(1957- )という。
「面白いポスターのアイデアを思いついた。見てくれ」と言って
やおら、広げたのは、白人女性が裸で横たわる後ろ姿。首、背中、尻から足にかけての曲線が「R」のようだ。ところどころに、蕎麦かすがとんでおり、かえってリアルだ。
ヘンリー・ムーアの彫刻を思わせる。コピーはなく、英文字の「Suntory Royal」だけ。

その時のローヤルの宣伝方針とは外れていたが、「おもろい。やってみなはれ!芸術性すら感じさせる」として採用、地下鉄主要駅に貼り出した。
角といい、ローヤルといい、何とも「悪のり、軽のり」の制作部長だったことか。
このポスター、クリエイティブ界で注目を集め、ADC賞をとった。

さて、その葛西と、コピーライターの、安藤隆のコンビで、ウーロン茶のキャンペーンが始まる。

サントリー烏龍茶・秋の靴音

イラストのCM(1984)で始まるが、すぐ中国ロケに移行、2013年まで続き、
日本における、ウーロン茶市場の創造に貢献した。
この殆どに、上田もカメラマン・演出家として参画した。

葛西はサントリー以外に、虎屋、ソニー、ユナイテッド・アロウズ、西武百貨店、六本木の街、などのアートディレクションを担当。いずれも深くて、品があるデザインだ。

私との関わりでは「水と生きる サントリー」のCI、サントリー美術館や練馬区立美術館のロゴ・マークづくりを担当した。
また、小説家やアーティストの本の装幀、映画のグラッフィックデザイン、パッケージやスペースデザインにも関わっており、日本を代表するアートディレクターでもある。2015年春、紫綬褒章受章。

広島アピール・2013(左)  葛西薫 カレンダー(右)


上田は広告写真家としてだけではなく、アーティストして、風景、肖像、静物、建築などの写真集を発表、なかでも東大博物館の館蔵品の写真集は見応えがあった。

自らギャラリーを持つだけでなく、海外のアートフェアーや美術館でも作品を発表している。
2020年には富司純子、シム・ウンギョン主演で映画「椿の庭」も撮った。(脚本、撮影、監督)

2025年の、神奈川県立美術館での大回顧展は圧巻だった。


ちなみに、桐島かれん の夫君でもある。

半田也寸志


さて、その葛西が装幀したのが、半田也寸志(1955― )の写真集「アメリカ鉄の遺構 IRON STILLS」 (ADP社)である。

アメリカを巨大にした鉄の遺構に、賞賛と哀惜の視点で迫る大作だ。
幾何学的な紋様や、無機的な光が美しい。

講談社出版文化賞、文部科学大臣賞、経済産業大臣賞受賞。
半田とは30数年来の知己である。出会った頃は広告やファッションの
新進気鋭のカメラマンだった。その作品には、独特の質感と深みがあり、
物であっても人であっても、半田のカメラの前に立つと、
たちどころに存在が見透かされてしまうような凄みがあった。
アメリカ各地で「IRON STILLS」の仕上げをしていた時、「3.11」を聞き、すぐ帰国、
いてもたってもいられず、6500万画素のカメラを担いで単身現地入りした。
20日後のことだ。それを「20DAYS AFTER」として発表した。ひと目見て「痛い」と思った。

高村光太郎はエッセイ「触覚の世界」で、触覚は最も幼稚で根源的な感覚であると言った。
絵画であれ、写真であれ、優れたアートは触覚を刺激する。
伊集院静は「一人の写真家が、震災という歴史の中にたち、何が私たちに起こったのか告げてくれている。それは、黙示録のように地上の憂国の滅亡を叙述しているのではなく、復興への光を見いだそうとする救世の写真集である」との巻頭言を寄せている。
国外ではヨーロッパで最も権威ある美術出版社「スキラ社」(イタリア)から
「MIGHTY SILENCE―Image of Destruction」として出版された。

私もコメントを寄せ、英訳された。

六田知弘


六田知弘は震災の記憶を「3.11 時のイコン」(平凡社)として発表した。

本のカバーには「波に飲まれ、打ち捨てられたモノたちに堆積した時間の記憶
<震災までの日常、「3.11」、撮影されるまでの経過した時間>
それらを鎮魂の思いをこめて記録した写真集」とある。
半田の透徹したリアリズムとは違ったアプローチで震災を捉えた。

六田(1956― )は早稲田大学卒の気鋭の写真家。
写真集もボロブドール、雲崗石窟、サンティアゴ巡礼の道、OKUGAKE(吉野から熊野へ)、仏宇宙、運慶、ロマネスク、水の貌、火/風の貌、地/空の貌など名著が多い。

その中で、地/空の貌の写真集(加島美術)のコメントを書いた。
「六田は、奈良の出身である。土門拳と入江泰吉は奈良を舞台に競い合った。
土門拳は、<古寺巡礼>で部分から全体が見えるリアリズムあふれる仏像写真を、
入江泰吉は、<大和路>や<會津八一と奈良>で大和しうるはしのリリシズムあふれる風景写真を撮った。
土門に憧れ、絵画から写真に転じた六田は、土門流リアリズムと入江流リリシズムを兼ね備えた気負いのない表現者として大成するような気がしてならない」何ともおこがましい物言いだ。

「地/空の貌」では、イングランドの古代遺跡「ストーン・ヘンジ」を撮った写真を掲載した。巨石群が空に向かって屹立している。
どうして運んだのか、建てたのか、何を意味しているのか、未だに謎だ。

 

志鎌猛


志鎌猛(1948- )もストーン・ヘンジを撮った。

志鎌は、2008年よりデジタル全盛の時代とは対極にあるプラチナパラジウムプリントに取り組んでいる。
しかも手漉き和紙・雁皮紙を用いて印画紙をつくるところから始める。
微妙な階調と繊細で美しいモノクローム作品を生み出している。
「一作品について一度だけシャッターを切る」頑迷とも言える作品づくりだ。
「身近な花、水、森など自然を撮る。いや、そこで出会った自然に手招きされ、撮らされているのだ」という。

一見、地味だが、唯一無二の湿り気。手触り感があり、見る人のこころを捉えてはなさない。
志鎌の作品は、国内よりも海外での発表が多く、世界最大の写真フェア「パリ・フォト」にも出品し、評価が高い。とりわけ、サンディエゴ写真美術館・名誉館長のデボラ・クロチコ氏は魅入られているようだ。
志鎌は、東京生まれだが、1992年から八ヶ岳や南アルプスを望む茅ヶ岳の麓(北杜市明野)にアトリエ兼スタジオを構えている。茅ヶ岳は、日本百名山の深田久弥・終焉の地で、山梨出身で山好きの私は、「春・夏・秋・冬」何度も登っている。


余分な話


志鎌とは、高島屋(過去3回開催)の個展の度に合う。そのたびに思う。
「志鎌は、山梨の美術関係者に全く知られていない。本人のPR不足もあるが、学芸員の研究不足も有るのではないか?八ヶ岳や富士山麓にアトリエや別荘を構えるアーティストは多い。データを収集して、<山梨に魅入られた作家と作品>の展覧会でも開いてみてはどうか?新しい地平が開かれる、いや山が築かれるかもしれない。縁とはそうしたものだ」

                                                                 (敬称略)
2026.8.20 若林覚



– 筆者 若林 覚 プロフィール –
アートプロデューサー。元サントリー宣伝事業部長、文化事業部長、サン・アド社長。
サントリー美術館副館長・支配人を経て練馬区立美術館館長。
著書に「私の美術漫歩 広告からアートへ、民から官へ」(生活の友社)
共著に「ビジネス感性の時代」(講談社)など。

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